20年に1度だけ開かれる神域へ 伊勢神宮式年遷宮 御白石持行事レポート

平成17年から進められてきた式年遷宮も、いよいよクライマックス。神社ドットコム編集部が、今夏開催された「御白石持行事」に参加したようすをお届けします!
1.日本人の総氏神さまで1300年前から続く、20年に一度のお祭り 式年遷宮



式年遷宮は、全国8万の神社の中でもっともと尊ばれる日本人の総氏神、伊勢神宮(いせじんぐう※正式名称は「神宮」)の壮大なお祭りです。20年に一度おこなわれ、今回は第62回。およそ1300年もの間、続いてきました。
お祭りの最大の目的は、大御神さまに新しいお宮へお遷りいただくこと。そのため、古いお宮のすぐ隣に新しいお宮が建てられ、御装束品神宝、五十鈴川に架かる宇治橋なども一新されます。そのすべての行程が30以上の祭典・行事によりおこなわれることになります。
平成25年(2013)の今年は、いよいよ大御神さまの引っ越し「遷御」がおこなわれるクライマックスの年。大詰めの祭典・行事が目白押しですが、中でも編集部が参加した「御白石持行事」は、旧神領にあたる伊勢市・二見町・御薗村の住民「旧神領民」に加え、全国の「特別神領民」も加わった22万人以上が、7月26日から9月1日にかけて御正殿が建つ御垣内に敷く御白石を奉献する盛大な行事です。
御垣内は、通常は一般人が入れない神域。でも、「御白石持行事」に参加すると大御神さまの「遷御」前の御垣内に入れ御正殿を間近に拝することができるのです。
2.二見興玉神社で身を清めるのが定番コース



思いがけず「御白石持行事」に参加できることになった編集部が、期待でドキドキしながら伊勢へ向かったのは8月上旬。参加させていただく岩渕町の「御白石持行事」の前日に到着しました。
前日は禊ぎの意味を込めて二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)に参拝する「浜参宮」をし、ついに迎えた当日は熱中症が気になるほどの快晴でした。
御白石が乗った奉曳車からは、先頭が見えないほどの長い縄が伸び、たくさんの人が縄を持ち準備万端。そこで聞こえてきたのが、独特の節回しでろうろうと歌い上げる男性の声。木遣り歌です。
木遣り歌は、岩や木などの重い物を大勢で運ぶときに歌われるもので、伊勢の木遣り歌は「ヤットコセー ヨーイヤナ-」という合いの手が入るのが特徴です。
木遣り歌を歌う男性の声が空に吸い込まれると同時に「エンヤー!」という掛け声がかかり、奉曳車が動き出しました。
3.一体感を生む「木遣り歌」と「練り」ははずせない!


ギラつく真夏の太陽を「エンヤー!エンヤー!」の掛け声でふき飛ばし、時に2本の綱で木遣り役を挟んで担ぎ上げる「練り」を披露しながら、曳いては休みを繰り返しながら内宮を目指すこと6時間。
予定より遅れたため、内宮前のおはらい町に着いたのは夕暮れが迫り、ひんやりとした風が吹き始めた時間帯。全員の力で宇治橋前に車を曳き入れ、手打ちで締めると達成感にあふれた歓声があちこちに広がりました。
江戸時代には、神宮のお膝元に住む神領民は税金がかからない特典がありました。その代わりに奉仕が義務づけられていたのが式年遷宮で社殿の新造に使われる木材を木曽から運搬する仕事と、境内に敷く石を紀伊山系の大台ケ原を源とする宮川流域から集め奉納する仕事です。
「どうせやるなら楽しくやろう」と各町内が、奉曳車や木遣り歌に工夫を凝らすようになり行事へと格上げされたのが「御木曳行事」と「御白石持行事」です。
各町の奉献団の「御白石持行事」を見ていると、奉曳車の飾りも木遣り歌も練りの方法もそれぞれ。工夫を凝らした様子に各町の誇りが感じられました。
4.そして、御垣内へ。


力を合わせた感動の行事が終わると、後は宇治橋を渡り白い布に御白石をいただいて、いよいよ御垣内へ向かう最終章です。進行の遅れにより内宮に入ったのは日が暮れた薄闇のころ。
それでも、木が香るほど真新しい御正殿は、闇の中でも清らかに白く浮かび上がるよう。訪れつつある夜がいっそう神秘的で感動の美しさでした。御垣内には、御白石が敷いてあるエリアと黒い石が敷いてあるエリアがありますが、御白石は神殿の周りの特に聖なる場所に敷かれるそう。
御白石を白布から出して奉納する際には、誰もが頭を垂れ、静かに祈りを捧げていました。
5.《その他の神社》どこ行く?お伊勢詣で

天照大御神を祀る内宮は日本人の総氏神

内宮の前に参拝するのが慣わし

天孫降臨を先導した猿田彦大神を祀る

古来から伝わる伊勢神宮の禊ぎの地