丹生官省符神社

丹生官省符神社

にうかんしょうぶじんじゃ

住所〒648-0151
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院八三五番地
電話番号0736-54-2754
FAX
HPhttps://niujinja.sakura.ne.jp
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由緒・由来

丹生官省符神社の草創は古く、弘仁七年(816)弘法大師(空海)によって創建されたお社であります。空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出で立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。

猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。此の処は実に天下無双の霊地であり、空海は、此の処を教えくださった猟師は、①神さまが姿を猟師に現し②化現狩場明神となり神託として一山を与え下さったものであると③想念の内に感得されたのでした。その事を嵯峨天皇に上奏し、天皇は深く感銘され、高野山を空海に下賜されたのでした。

狩場明神の尊い導きにより開山することができた高野山金剛峯寺。仏教・真言密教の布教の基となった狩場明神との運命的な出会い。空海はその思いを④政所として⑤慈尊院を開いたとき、参道中央正面上壇に丹生高野明神社(現丹生官省符神社)を創建奉祀され、諸天善神への祈願地としてこの地を天と神に通じる地、即ち神通寺の壇とし、慈氏寺の壇と併せて萬年山慈尊院と称されました。

空海によって創建鎮座爾来、御社号も慈尊院丹生高野明神社、丹生七社大明神、丹生神社、丹生官省符神社と変遷し、県内外を問わず尊崇を受け⑥官省符荘(荘園)の総社として栄えました。

⑦紀伊名所図絵(天保年間)では、数多くの御社殿等が立ち並び荘厳を極めていましたが明治維新後、神仏判然令(神仏分離令)等により多くの建物は取り除かれ、天文十年(1541=室町時代)に再建された本殿の内、三棟(国指定重要文化財)が往年の姿をとどめ今日に至っています。

  1. 神さま(地主神)…高野御子大神(高野明神)
  2. 化現狩場明神…神さまが姿をかえてこの世に現れること。
  3. 想念の内に感得…心の目を開かれ感じとること。
  4. 政所…一山(高野山)の政務、庶務をつかさどる所。
  5. 慈尊院…神通寺の壇(明神の壇)と慈氏寺の壇(みろくの壇)を併せて萬年山慈尊院としました。
  6. 官省符荘とは、太政官と民部省から認可された荘園という意味で、国の干渉を受けない不入の特権と、国へ税金を納めることがいらない不輸祖の特権をもつ正式な荘園でした。
  7. 紀伊名所図絵(天保年間=江戸時代)

※丹生官省符神社様HP 御由緒より

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