道明寺天満宮
どうみょうじてんまんぐう
住所 | 〒583-0012 大阪府藤井寺市道明寺1-16-40 |
電話番号 | 0729-53-2525 |
FAX | |
HP | https://domyojitenmangu.com |

由緒・由来
土師神社の草創 垂仁天皇の32年(西暦3)、相撲の祖といわれる 野見宿祢 が、「はにわ」を創って殉死に代えた功績で、「 土師 」の姓とこの辺り一帯を所領地として賜わって以来、遠祖天穂日命をお祀りしたのが土師神社の始まりです。その後、仏教が伝来し、推古天皇の2年、聖徳太子の発願により、土師八嶋が自宅を喜捨し土師寺が建てられました。
菅原道真公と道明寺 この道明寺には、道真公のおば様であります覚寿尼公がお住まいになられていました。その覚寿尼公のおいにあたられます道真公は、幼少の頃から和魂漢才の人といわれ、5才にして和歌を詠まれ、11才にして漢詩を作られました。そして、40才の4月より7月まで当地にご滞在され、 夏水井 げすいのい の水を汲み 青白磁円硯 せいはくじえんけん により、五部の大乗経を写されました。その経塚から、胚芽が経巻の形をした「もくげんじゅ」が生え、謡曲「道明寺」にも有名になりました。また、宇多上皇の大和河内御巡幸の際にも、当地にお伴され、「雨中錦を衣て故郷に帰る」と、漢詩に詠まれたことからも、公はこの地を第二の故郷として慕われていました。
やがて57才にして従二位右大臣に進まれましたが、無実の罪で九州 大宰権帥 だざいのごんのそち として淀川を下られる舟の中でも、
[世につれて浪速入江もにごるなり 道明らけき寺ぞこひしき]
と詠まれ、道明寺の訪問を許されました。そして、この道明寺で覚寿尼公との別れを惜しまれ、八葉鏡にお姿を映されて 犀角柄刀子 さいかくえとうす で自像を荒木に刻まれ、
[鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の なからん里の暁もかな]
※道明寺天満宮様HP 歴史より