北野天満宮

北野天満宮

きたのてんまんぐう

住所〒602-8386
京都府京都市上京区馬喰町
電話番号075-461-0005
FAX075-461-6556
HPhttps://kitanotenmangu.or.jp
北野天満宮

由緒・由来

北野天満宮は、天神信仰発祥の社として今から千年あまり前の村上天皇天暦元年(947)、御神託(神様のお告げ)により平安京の天門(北西)にあたる北野の地に菅公をおまつりし創建されました。

その後、藤原氏による大規模な御社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の 勅使 (お使いのこと)が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時、一條天皇より「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、菅公は「天神さま」としておまつりされ、以後、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸(天皇陛下が直接お参りされること)をはじめ、代々皇室の御崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。

やがて天正年間には、関白豊臣秀吉公が境内一帯の北野松原で北野大茶湯を催し、慶長年間には出雲阿国が京において初めてややこ踊り(歌舞伎踊り)を演じるなど、北野は日本文化発信の中心地として強く意識され、文化芸能の神社としても仰がれています。

江戸時代には、各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室に菅公のお姿を描いた「御神影」が掲げられて、学業成就や武芸上達が祈られました。これがのちに「学問の神さま」「芸能の神さま」として人々に広く知られるようになった由縁のひとつです。

現在、全国各地には菅公をおまつりした「天神さん」はおよそ1万2000社が鎮座し、その多くは当宮から御霊を分けた神社であります。

現在の御本殿(国宝)は、豊臣秀頼公が慶長12年(1607)に造営されたもので八棟造と称し、神社建築の主流である権現造の原型となった桃山建築の代表的遺構です。中門は「三光門」と呼ばれ、後西天皇御宸筆(直筆)の勅額「天満宮」を掲げています。 また宝物としては「紙本著色北野天神縁起絵巻・承久本」(国宝)をはじめ、天神美術の殿堂として貴重な御神宝類、文化財を多数所蔵しています。

※北野天満宮様HP 御由緒より

詳細MAP

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