白旗神社
しらはたじんじゃ
住所 | 〒244-0803 神奈川県 横浜市 戸塚区 平戸町302 |
電話番号 | 045-823-4488 |
FAX | 045-823-4048 |
HP | https://rarea.events/features/hiradoshirahatashrine |

由緒・由来
当神社に隣接する東福寺に寺宝として一通の古文書が収納されています。その所蔵文書は明和六年(1769)の送り状で次のように書かれています。
鎌倉郡永谷村永谷山東福寺鎮守白旗大明神は
乾元元年(1302)九月九日
鶴岡相承院先住元智「智円の前名」の時の勘請なり
今般右大将家御鬢髪三筋相送候
此度東福禅寺慶厳の希望に因る者也
明和六年(1769)十月十四日
鶴岡相承院 密信 花押
東福禅寺 慶岩和尚
そして、いまひとつ二重の桐箱があり、なかに縦7センチ、横2センチの金襴の袋が収められており、表書きには「頼朝公遺髪三筋」と記されています。
白旗大明神「白旗神社」は東福寺と永谷村の鎮守として智円がこの地に勧請(神仏の分霊を請じ迎え祭ること)したのは、鎌倉時代の末期、頼朝公が逝去されてより約百年後のことでした。
相承院は、鶴岡八幡宮寺の本尊につかえて天下の安穏を祈り、社役をつとめる二五坊のなかでも有力な寺院で、応永三十三年(1427)には、頼朝公の持仏堂で、のち頼朝公の遺髪を安置する法華堂を管理し、祈祷の役に任じました。
白旗神社を勧請した智円(1285〜1366)は相承院七世として三十四年間奉供しており、慶巌和尚の懇請によって二十四世密信が頼朝公の御遺髪を白旗大明神の御神体として送ることができたのは、法華堂の管理をまかされていたことによるものと考えられます。
「新編相模風土記稿」には「遺髪一屯、頼朝公逝去の日、蓬髪して持仏堂に納めしと云う。白毛少しく交じりてあり」と記されています。
※白旗神社様HP 由緒より