子之神社
ねのじんじゃ
住所 | 〒259-0311 神奈川県足柄下郡湯河原町福浦(ふくら)129 |
電話番号 | 0465-62-5812 |
FAX | |
HP | https://sites.google.com/view/nenojinja/ホーム |

由緒・由来
遙か太古の昔、大海原の彼方から、龍王、妃、王子の三柱の神々が、荒藺乃崎(現在の真鶴岬)に御船に乗られて御出でになり、当地を開拓されたと伝えられています。その後、文武天皇4年(西暦700)、役行者と共に、当地を訪れた御杖代・穂積濃美麻呂卿が、師である役行者と共に、陰陽の秘法を以て、金剛蔵王権現、弁財天、子守大明神をお祀りしたのが当神社の創祀であり、その折に、当地に「霊妙なる薬湯」を見出したのが、現在の湯河原温泉の始まりと伝えられています。
時は移ろい、平安の世は、天暦7年(西暦953)、濃美麻呂卿の十代目の孫、穂積俊基卿が、当地海岸の「竜宮の鼻」と称される大岩に、金色に輝く神霊が降臨されたのをお迎えし、初めてやしろを設け、お祀りしたのを創建とします。
その後、当地の豪族、荒井刑部實継公一党の崇敬が篤く、その主君、源義家公、その子孫、源頼朝公、源義経公も、篤い信仰を寄せました。時は降り、應仁の大乱も収まりし、南朝・明應10年(西暦1478)、戦乱に明け暮れる都を逃れ、御一門の山田宮を伴われ、楠一族、菊池党、高橋党などの忠臣の警護を受けつつ、当地に尊き御身を寄せられた、後醍醐天皇の玄孫の宮に坐す、小倉宮尊成親王は、時の神官、大和守重勝の娘、安津佐姫を娶られ、祀職となられ、お若きみぎり、吉野は金峯山に於いて、修行に励まれていた折のこと、大天狗から法力を授けられた故事にちなみ、「天佑」と称され、この名が後の代々の宮司の法名とはなり、又、平安京の北方の守護である子之宮の神霊を、当神社に併せ祀られました。
他に、やしろの杜に住まう梟の鳴き声を、「東路(あづまぢ)を 吾が越へくれば ひなの里 福ぞ来たらむ みつかひの声」との歌に詠まれて、このことを瑞祥とされ、この地を「福ぞ来たらむ里」と名づけられ、それが現在の福浦の地名の由来となった、と云う逸話も残されています。爾来、第五十三代宮司、穂積天佑、こと、天佑宜龍に至るまで、連綿と途絶えることなく、その血脈法統は受け継がれ、地元はもとより、広く日本全国、また海外に至るまでも、多くの人々の信仰を集め、心の拠り所となっています。
※子之神社様HP 由緒より