早馬神社
はやまじんじゃ
住所 | 〒988-0534 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75 |
電話番号 | 0226-32-2321 |
FAX | 0226-32-2387 |
HP | https://hayama.jinja.jp/index.html |

由緒・由来
今から約800年前の建保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当であった梶原専光坊僧正景実【(かげざね〉、鎌倉武将 梶原平三景時公の兄)】は、正治元年(1199年)の源頼朝公の死亡、これを追うかのような梶原景時公一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住んだ。
【梶原専光坊僧正景実は箱根別当行実の弟子、『吾妻鏡』では専光房良暹(せんこうぼう りょうせん)】
家の脇に社を建て、源頼朝公【鎌倉幕初代将軍】、梶原景時公【かげとき…源頼朝公第1の家来・鎌倉殿の13人の1人】、梶原景季公【かげすえ…景時公の子・鎌倉幕府有力御家人】の御影を安置し一族の冥福を祈り、菩提を弔う為梶原神社を崇め祀った。
【梶原神社は現在も気仙沼市唐桑町高石浜(㈱かわむら本社脇)に鎮座している。】
2年後、一族の梶原景茂【かげもち… 梶原景時公の三男)】の子である第二代大和守景永(やまとのかみ けいえい)は、景実の後を慕ってこの地に至り景実の猶子(養子)となった。景永は神職となり、景実と共に早馬山山頂に早馬神社(奥宮)を建立した。
石浜の居宅・拝殿はは慶長16年(1611年)慶長三陸地震の大津波により流失し、石浜より明戸と移り、約350年前に現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座する。
中世は本山派修験として京都聖護院より『良厳院 (りょうごいん)』の院号を授かる。
仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え九曜紋を授かる。
明治のはじめに神仏分離令により早馬大権現より現社号 『早馬神社』に改め現在に至る。
本山派修験良厳院累世社務を掌り現宮司で三十三代目となる。
神幸祭には、神輿渡御、船祭り、献膳祭、打囃子、稚児行列、道中手踊りが執り行われる。
※早馬神社様HP 由緒より