山梨県

中部地方

平野天満宮

平野天満宮は学問の神様である菅原道真と、武勇・医療・産業・五穀豊穣の神「須佐之男命」が祀られ、文武ともに御神徳のある神社として崇拝されています。奉納神楽として江戸時代から伝承される「天岩戸神楽」は、雌獅子神楽で女らしく膝頭を付け内股で舞うのが特徴で、山中湖村の無形民俗文化財にも指定されています。7
中部地方

石割神社

石割神社いしわりじんじゃ住所〒401-0502山梨県南都留郡山中湖村平野1979電話番号FAXHP由緒・由来詳細MAP
中部地方

軍刀利神社

創立由緒は不詳であるが、甲斐国志には「軍茶利夜叉明王社棡原村井戸鎮守、永正八年(一五一一)鰐口有銘略之、寛永九壬申(一六三二)年棟札あり。略之、祭礼霜月十九日除地下畑五畝拾八歩、下々畑一畝貳拾歩別当修験大正院」とあり、近世までは修験道軍刀利神社と称するやうになり、軍神として広く郡内一円に講を中心とする信者を持ち、神奈川県、東京多摩地区にまで信者が広がつてゐる。
中部地方

新倉富士浅間神社

人皇第四十二代文武天皇の御代慶雲三年(西暦七〇五年)九月九日、甲斐国八代郡荒倉郷へ富士北口郷の氏神として祀られる。
中部地方

刹海神社(せの海神社)

延喜一三年飢饉の折、風雨順止五穀豊穣の為溶岩洞窟の入口に豊玉姫命を勧請、江戸時代に浅間大神を合祀、富士講八海巡りの青木龍神としての霊場であり社殿の側の水を借りて祈願すると必ず降雨ある霊験がある。昔この附近は剗海といふ大海が貞観年間噴火で本栖、精進、西湖と三湖となった。
中部地方

冨士御室浅間神社

本宮、里宮の二社で構成されており、現在は河口湖畔の境内地を主とし、向き合う形で建立された両殿に参拝することが出来る。 昭和46年、神社本庁指定の別表社に列せられる。平成23年2月、富士山二合目奥宮境内地、並びに現在の本宮里宮境内地が『史跡富士山』に指定され、平成25年には富士山世界文化遺産構成資産として「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として登録された。
中部地方

身曾岐神社

天保5年(1834年)天照太神の神示を得て、太古からの神道の中枢・白川神祇伯王家に伝承された神道の奥義を悉く 相承し、息の行法を以て神道の極意を伝え、天地自然を教典とする生命の信仰ー神道を人間至福の道として再興されました。明治12年(1879年)神道中興の祖として、東京・ 東上野に井上神社として祀られ、その信仰は広く世の人々の 崇敬を得て、今日に至っております。
中部地方

三嶋神社

平安の初め此地方が開拓され、村落が生まれつつある頃大同元年(八〇六)伊予国(愛媛県)大三島の大山祇神社より勧請された。富士山の噴火続き田畑山林の荒廃厳しいため、富士即木花咲耶姫命の御怒りを鎮むべく、父神に坐す大山祇命をお迎へし、復興の精神的よりどころとしたと言ふ。
中部地方

八幡神社

社地を古くより鎌倉山と云ひ、明らかに中世の土塁(とりで)であり、そこに鎮座する故鎌倉山八幡神社と称した。建保元年(一二一三)和田義盛の乱の功績により、武田信光に波加利本庄(今の初狩地方)が与へられてゐるが、信光が鎌倉に対する忠誠の証として、八幡神社を創建したのではないか。享保十二年の火災にて古器具古文書、棟札等すべて焼失し不詳となる。明治五年村社。
中部地方

河口浅間神社

第五十六代・清和天皇の御代、貞観六(西暦八六四)年五月ごろ、富士山が大噴火。富士北麓にあった「剗ノ海」という大きな湖は、大量に流れ出た溶岩によって分割され、現在の精進湖、西湖となりました。
タイトルとURLをコピーしました