和歌山県

近畿地方

熊野本宮大社

熊野連山の三千六百峰を形成する、果無山脈。その山間を縫うが如く流れ、太平洋へと続く熊野川は、まさに熊野の大動脈です。この熊野川の中枢に、古代より熊野巫大神の鎮座されるお宮が、熊野本宮大社です。熊野本宮大社は過去「熊野坐神社」と号し、熊野の神と言えば本宮のことを表していたものと推測されます。
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熊野那智大社

当社は神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の御東征を起源としています。西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら 現在の那智の浜)に上陸されました。 一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴神(おおなむちのかみ)現れたる御神体としてお祀りされました。
近畿地方

日前神宮 國懸神宮

創建二千六百餘年を溯る日前神宮・國懸神宮は、同一境内に座します二社の大社をなしております。日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しております。
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春日神社

当神社は元弘(1331年)の役の兵火に遭い、本殿は焼失し、社伝、旧記類ことごとく烏有に返して創建当時の御由緒を詳らかす由もないが、当松江の地形が、雲州の松江に酷似していることから、上古 大伴の臣等が出雲の大神を勧請して、現在の社頭から、東南へ100余mの湖水の中、小島の松林のなかに御鎮座して、代々、この村の産土神として崇敬してきた。
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伊太祁曾神社

伊太祁曽神社についての具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝2年(西暦702年)です。神代のことはわかりませんが、伊太祁曽神社が現在の社地に静まります以前には、日前神宮・国懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかがすじんぐう=通称:日前宮にちぜんぐう)の社地にお祀りされていたようです。
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