鳥取県 加知彌神社 『延喜式』神名帳(927)には加知彌神社と記載されるが、近世まで勝宿大明神と称した。創立年代は不詳であるが、旧社地は宮谷或いは明神鼻にあったという。現社地の旧称は飯田の森と称し祀職の住んだ地であった。移転の年代は不詳である。寺内集落の薬師堂付近で奈良時代後期の遺瓦や塔の礎石が発見されており、勝宿大明神の別当寺宝照寺の旧跡と云われる。 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 䖝井神社 『三代実録』巻44元慶7年(883)12月の条に「因幡国正六位上虫井神従五位下」と記されている国史現在社である。当社の東は古くより虫井谷と呼ばれている。『因幡誌』は、往古、夷住山に三神が降臨したという伝承があることと、『伊福部氏系図』の中に「武牟口命と云あり。 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 茂宇気神社 創立起源は不明。往古より河内地区の氏神であり、妙見大権現と称した。明応年中(1492~1501)と思われる棟札が現存する。寛文7年(1667)、藩主池田家より社領6斗を寄進され、元禄15年(1703)、天照大御神を勧請合祀して妙見茂宇気宮と改称した。明治初年、茂宇気神社と改称し、村内の山神(大山祇命)、稲荷神(倉稲魂命)、境内末社稲荷大明神(倉稲魂命)を合祀した。 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 河野神社 大正5年9月に、現社地に本殿、幣殿、拝殿を建立し、三吉字山田の村社廣嶺神社(須佐之男命外一神)、三吉字十日市の村社宮國神社(忍穂耳命)、三吉字大坪の村社檜神社(彦火火出見尊外二神)、慶所字宮ノ尾の村社聖神社(忍穂耳命)の四神社を移転合祀して河野神社を創立した。山田、大坪、十日市、駅前、慶所部落の氏神である。 2025.01.31 中国地方鳥取県
鳥取県 聖神社 創立年月は不詳。往古より聖大明神と称した。宝永7年(1710)8月、本殿(4尺四方)を再建している。 神幸祭は安永6年(1776)より始まる。 寛政年中(1790~)に本殿(8尺四方)を建立。 文化10年(1813)5月に拝殿を造替したのが現社殿である。 2025.01.31 中国地方鳥取県
鳥取県 勝田神社 古くは弓ヶ浜外江村に御鎮座あり、その後当村より東方に新屋村という地に移し奉り貞観より文安の頃までこの地に後鎮座あり、その後米子の地勝田山(現在県立米子東高等学校野球場横)に移し奉り天文二十二年癸丑年(一五五三年)今の社地に御鎮座となる。 2025.01.31 中国地方鳥取県
鳥取県 賀茂神社天満宮 創立の年代は不詳であるが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。 2025.01.31 中国地方鳥取県
鳥取県 白兎神社 「古事記」に「此稲羽之素兎者也、於今者謂兎神也」と記されている由緒歴然とした古社である。 往古兵乱に遭い社殿を焼失衰微すること久しかったが、慶長年中(1596~1615年)鹿野城主亀井武蔵守茲矩が奇瑞の夢によって社殿を再興し、社領20石2斗を寄進している。 2025.01.31 中国地方鳥取県
鳥取県 大神山神社 大神山とは神社が鎮座する「大山(だいせん)」の古い呼び名です。大山が文献に登場する最初の書物は、八世紀(奈良時代)前半に編纂された「出雲国風土記」で、国引きの条の中に「國に固堅め立てし加志は、伯耆国なる大神岳是なり」と国を引き寄せる綱(鳥取県の弓ヶ浜半島)をつなぎ止める杭として、伯耆国の「大神岳(火神岳)」として出てきます。 2025.01.31 中国地方鳥取県
鳥取県 倉田八幡宮 創立年代は不明であるが、社蔵由緒書きによると、石清水八幡宮を勧請したと伝え、かっては社領が1,100石余あったという。中世には石清水八幡宮領の滝房庄が当地一帯に成立していたと推定され、同庄のことは、承元2年(1208)を初見とする(「石清水文書」)。 2025.01.31 中国地方鳥取県