東京都

関東地方

三河稲荷神社

徳川家康公が三河在城の時、先勝祈願が叶う等により篤く崇敬された当社を江戸入国とともに吹上に造営奉遷されました。その後、慶長十一年(1606)大縄地本郷元町の氏神様として遷座してより四百年を迎えました。
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三崎稲荷神社

創建は詳かでないが建久以前、仁安の頃とも伝えられる。当時の神田山(現、駿河台)の山麓(現、本郷一丁目)武蔵国豊島郡三崎村に鎮守の社として祀られたとされ、その後幾多の変遷の後、明治三十八年現在地に遷座される。
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日吉神社

日吉神社の創建は不明ですが、安土桃山時代の頃、天正年間(1573-1591年)、隣接する大日堂再興の折に旧拝島村総鎮守山王社として現在地に建立されたと言われています。さらに桜町天皇の寛保元年( 1741 年)九月五日に宗源宣旨を受け山王大権現の称号を賜りました。
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椙森神社

当社は遠く一千年の昔、田原藤太秀郷、将門(まさかど)の乱を鎮定の為、戦勝を祈願するを始めとする。 文正元年、太田道灌、雨乞祈願に霊験あり、伍社稲荷大祭を遷し祭祀する。江戸時代には江戸三森の一つに数えられ恵比壽大神を祭り祭祀す。
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末廣神社

当社の創祀は明らかではありませんが、古文書によると、慶長元年には「稲荷祠」として現在の境内地辺りに鎮座しておりました。明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されてきました。社号の起源は、延宝三年社殿修復の際年経た中啓(扇)が発見されたことを、氏子の人達が悦び祝って末廣の二字を冠したものです。
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笠間稲荷神社東京別社

当社の御創建は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651)と伝えられています。その後幾星霜を経て、桜町天皇の御代、寛保3年(1743)には時の笠間城主井上正賢により社地社殿が拡張され、又延享4年(1747)牧野貞通が城主となるや先例により祈願所と定められ、境内地・祭器具等が寄進されました。以来歴代藩主の篤い尊崇を受けました。
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元三島神社

大山祇神社のご分霊を祀り、その源を弘安四年の役に発する。勇将河野通有、大山祇神社に必勝の祈を捧げ神恩加護を仰ぎ、武功赫々として帰国したところ、夢の中に神のお告げを得て、上野山中にあった河野氏の館に分霊を鎮座したことに始まる。
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石浜神社

当社は、聖武天皇の神亀元年(724)9月11日、勅願によって鎮座され、以来1297年の歴史を持っています。文治5年(1189)、源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、弘安4年(1281)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての、鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見ました。殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州より、多くの参詣者を集めたと、伝えられています。
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矢先稲荷神社

創健、寛永十九年(1642年)、三代将軍家光三十九歳の時。 武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものを浅草の今の地に建てる。「矢先」の由来は、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社で「矢先」と呼ばれた。
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深川神明宮

今からおよそ四百年の昔、現在の深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もまだいませんでした。その頃、深川八郎右衛門(摂津の人と伝えられる)が一族を引き連れてこの地に移り住み、土地の開拓に着手しました。八郎右衛門は神さまを敬う心が篤く、屋敷のうちに小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の大神さまのご分霊をお祀りし、開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念しました。
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