東京都

関東地方

御田八幡神社

和銅2年(709)に神様をお祀りしてより、1300年を超える神社です。 三田、高輪、芝浦、港南の氏神様として崇敬されています。「釜鳴神事」という、全国でも数少ない特殊神事が1月と5月の15日に行われています。初宮・七五三・厄除け・新車清祓い等をはじめ、皆様の願意に沿ったご祈祷を毎日行っております。
関東地方

御霊神社

寛治年間(1087-94)陸奥守源義家、鎮守府将軍として奥州の阿部討伐の折、山城国桂の里の一族が義家卿の軍に従った。常に氏神八幡宮に勝利を祈り無事賊徒を亡したその一族が京都に帰還の途次、この地にとどまり、神威あらたかな氏神八幡宮および神功皇后、武内宿禰を祀り、御霊社と称した。
関東地方

鐵砲洲稲荷神社

鐵砲洲稲荷神社の「生成太神(いなりのおおかみ)」は、1554年に始まる足利義輝の治世に形成された京橋地区一帯の土地生成の産土神(うぶすなのかみ)です。それよりさかのぼる841年、平安時代初期にこの地の住民がうち続く凶作に教えられるところがあって、自らの産土の国魂神を祀り、万有の命を生かし成したまえる大御親神生成の大神として感謝し、日々の御守護を祈願したものです。
関東地方

春日神社

天文十五年十二月一日創建。日本武尊が征夷の時、立寄ったと伝えられ村首日奉森明が成務天皇の勅命により、大己貴命を祀る。延暦十年日奉森栄が官令を受け、武甕槌命、斎主命、天児屋根命を合祀、旧社号は春日大明神、明治に春日神社と改む。
関東地方

町田天満宮

谷保天神などを中心とした武蔵国の天神信仰の流布により、元応年間より菅原道真公をお祀りしていた大沢正純という者が柚木大沢村におり、京都の北野天満宮より戴いた菅原道真公の尊像を家の守り神としてお祀りしていました。子孫七代を経て大沢氏は一色村に移り住む際に、現在の本町田菅原神社の地にその尊像をお祀りし、境内地と社殿を村に寄進したのでした。
関東地方

氷川神社

この地東京から南西に当たり陰陽ある明るい地と話が流れ、日清日露の戦のおり参拝人集り代わる人しらずしらず世にいそしみ昼し信仰心を進め大祭も盛大になった。以上大祭変化の理由。
関東地方

碑文谷八幡宮

鎌倉時代の武将で源頼朝に仕えていた畠山重忠の守護神を、二俣川にて北条義時の軍に討たれた後、その臣榛沢六郎が交付し宮野佐近がこれを奉祀したといわれている。碑文谷の地名の起こりとなった碑文石が保存されている。創建は不詳。
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八坂神社

土淵庄の多摩川より古老が牛頭天王像を見出し祀る。応永五年の古文書に記載あり。徳川時代に社領免除、朱印地14石受ける。本殿は市重宝で総欅造、流麗精巧な彫刻、八坂社の篇額は有栖川宮二品熾仁親王揮毫、天然理心流奉納額も納められている。
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小宮神社

承元元年、武蔵西党の平山季重によって創建されたと伝えられ、以来、広く人々の信仰をあつめてきました。寛正四年に豪族小宮上野介憲明が奉納した梵鐘は国の重要美術品に認定されています。例祭日には一人立ち三匹獅子舞が奉納されます。
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久我山稲荷神社

当社は古来久我山の鎮守で、明治40年4月に字北原にあった天祖神社を合祀しました。天祖神社(神明社)の祭神は大日霎貴神、当時本殿(間口三尺・奥行三尺)、境内一反五畝余を有していましたが、稲荷神社に合祀したので 明治42年4月に境内地を処分しました。
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