四国地方

愛媛県

高知八幡神社

往古は井河八幡と称して、三代実録によれば、元慶8年11月17日伊予国井河神従五位下を授くとある。その後、康平6年9月源頼義が伊予守となり河内八幡と称して崇敬し、霊剣を奉納した。
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伊曽乃神社

第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。
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湊三嶋大明神社

往古、湊山に鎮座し、御津大明神とも湊大明神とも称しました。聖武天皇神亀5年(728) 8月勅詔によって国司小千宿弥玉興、玉純父子が、伊予九十四郷に一社宛、大三島大明神を勧請のとき、此の湊山に勧請し、本郷一宮と称えました。文治2年(1186) 河野四郎通信が湊山に築城のとき、当社を山の南麓に奉遷しました。
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多賀神社

寛永5年に、蒲生忠知(がもうただちか)公が、松山城主として着任された時、蒲生氏の氏神(滋賀県多賀町、元官幣大社・多賀大社) として、旧温泉郡藤原村(現在の末広町)に鎮座。以来、平成20年に鎮座380年を迎えました。
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大宮八幡神社

往古は神明宮と称えたという。崇峻天皇2年小千益躬が当地に奉遷し筑紫より胸肩大神を勧請、合斎し、八町歩の神地を定めて神野大宮と称した。
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八幡神社

創建は聖武天皇の御代、天平年中(729~749年)と伝えられています。伊予の国喜多の郡矢野の郷なる「矢野の神山」(神社古文書では出石寺山であろうとしている)に鎮座されていらっしゃったのを、鎌倉時代に現在の地にお遷ししたといわれています。
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大蔵山三島神社

承平中(931~938)伊予の押領使である越智好方は、国司から海賊と化した藤原純友征討を期に、大三島大山祗神社より「大山積大神」を神船にて明浜町俵津を経由、宇和郷の中心地大蔵山山麓神領に勧請し大蔵山三島神社と号した。
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多賀神社

神功皇后摂政18年(269年)三韓征伐の帰路に住吉太神宮に祈って、当国に太神降臨し給う宮処を教え給えと、海辺に茂る藤の木を、本未打ち断ちて海中に投げ入れれば坂島(宇和島)の郷那多に着いた。よって、此処に宮居を営み、藤住吉太神宮と称したという。
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八幡神社

和銅元年(707)九州宇佐八幡より勧請され、和銅5年(712)より祭祀が始まりました。 国指定・天然記念物「いぶき」は、文治元年(1185)源義経が伊予守に任ぜられた時、家臣、鈴木三郎重家に植えさせたものと伝えられ800歳余の長寿を保っています。
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宇和津彦神社

第12代景行天皇の御子である國乳別皇子を祀る。宇和別の祖であり、南予地域を開拓し治めた神である。現在地建立以前を含めると 1200年以上の歴史を持ち、南予に根付く土地神として代々領主の氏神として崇められる。
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