岡山県

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安仁神社

当社の創立年月日は不詳である。「続日本後紀」の承和8年(841)2月8日の条に『安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国名神大社とある。古くは「兄神社」又は「久方宮(ひさかたのみや)」と称したとも伝えられている。
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石上布都魂神社

当社は「延喜式」神名帳、備前国赤坂郡6座の内の1社である。備前国総社神名帳128社の中で正2位と記されている。古くは書紀一書に「其の蛇を断ちし剣をば、なづけて蛇之麁と日ふ。此は今石上に在す。」また一書に「素盞嗚尊、乃ち天蝿断の剣を以て、其の大蛇を斬りたまふ。」と記している。
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新庄八幡宮

創立は大宝元年(701年)8月13日、豊前国宇佐の宮より勧請され、ここにはじめて鎮座の祭事を行った。当時の人々は創立鎮座の年月を記念して通常祭事を執行するのほか、必ず古式の神事を行うの例を存したという。そののち当社に災いあり、伝来の旧記悉く烏有に帰しその行事の例のみ存したが、戦乱の世に及んで古儀古式は紊乱してしまった。明治43年には塩釜神社、八柱神社、海神社、恵美須宮を合祀した。
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最上稲荷

数多くの伝説とロマンを秘め、古代から豊かな文化を花開かせてきた吉備の国。雄大な造山古墳に代表される古墳群や、桃太郎伝説の舞台としても知られています。また備中国分寺・国分尼寺など数多くの寺社が点在し、戦国時代には羽柴秀吉の備中高松城水攻めの舞台となるなど、数多くの歴史物語に彩られた吉備平野。今なお豊かな野山が広がり、その風景は訪れる人々の郷愁を誘います。
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由加神社本宮

日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られる由加山 由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山。その昔、磐座信仰(巨岩をご神体)と唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後七三三年(天平五年)に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。
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中山神社

当社は文武天皇慶雲4年(707)此の地に社殿を創建して鏡作神を奉斎したと伝えられている。貞観年間官社に列せられ、延喜式に於ては美作国唯一の名神大社であると共に此の国の一宮でもある。「今昔物語」に猿神の説話があり、後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」には関西に於ける大社として、安芸の厳島社備中の吉備津宮などと肩を並べている。
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和気神社

古くは和気氏一族の氏神として遠祖、鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていた。天正19年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座した。後に弟彦王(おとひこおう)、和気清麻呂公、和気広虫姫を祭神に加え、清麻呂公の高祖父佐波良(さわら)命、曽祖父伎波豆(きはず)命、祖父宿奈(すくな)命、父乎麻呂(おまろ)命を奉祀していた国造神社を合祀した。
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阿智神社

近隣寺内で祀られていた妙見宮を文禄3年(1594)現鎮座地へ遷座。元和6年(1620)に社殿が造営されるのを嚆矢として、拝殿、随身門、絵馬殿と境内建物が備わっていく。明治二年の神仏分離にて「阿智神社」となり、航海の安全を司る宗像三女神を祀る。
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吉備津彦神社

桃太郎伝説と神楽・備前刀のふるさとの一宮の吉備津彦神社は「吉備の中山」の麓に鎮座する。ご祭神は「桃太郎」のモデルとしても有名な大吉備津日子命。大和朝廷の命により吉備の国を平定したといわれ、吉備の国を治めた屋敷跡にご社殿が建てられたのが当神社の始まりとされている。
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吉備津神社

当社には、あの桃太郎のお話のもととも云われる温羅退治のお話が伝わっています。吉備津彦の温羅退治は、昔からのこの地に伝わる神話で、桃太郎の童話は、この神話がもとになったとも言われています。吉
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