岡山県

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龍之口八幡宮

龍之口八幡宮は岡山市中区祇園龍ノ口山国有林の地内にあります。勧請※1の年代は不明ですが、孝謙天皇の御代に、岡山市金山寺、西大寺観音院を開帳された報恩大師がこの神社が霊験あらたかであると説かれたと伝えられており、奈良時代の天平勝宝年間にはお社があったものと推察されます。
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備前国総社宮

奈良、平安時代には朝廷より任命された国司が任国に派遣され、国庁で政治を行いました。現在、『時範記』と呼ばれる因幡国の国司の日記の一部が残っています。その『時範記』から推測すると、任国に赴いた国司は国庁入庁前にまず「総社」で「任国の国印(銅印)」と「倉の鍵」を受け取る儀式を行っています。これは任国の神々に国を治める者としての承認をえるための儀式でした。
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沖田神社

沖田神社は、備前国藩主池田綱政の時代に、新しく開拓された沖新田の産土神として建立されました。沖新田の開墾は、岡山藩の藩政確立に大きな役割を果たした津田永忠が、綱政の命を受けて元禄5年(1692)の正月11日に着工しました。その工事は急ピッチで進められ、驚くべき短期間で潮留め築堤・疎水・検地を終え、約2,000町歩の広大な新田が開かれたのです。
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春日神社

一説には、奈良の春日大明神にある額を鹿がくわえ、今の社殿の前の川瀬にきて死んだ。これによってこの地に春日大明神を勧請したという。社前の川瀬を「額ヶ瀬」と呼んでいる。「藤戸渡の合戦に一番乗りの功名をたてた佐々木盛綱が、春日大明神に戦功を祈って白羽の矢を献じた」との社伝もある。
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玉井宮東照宮

玉井宮東照宮の御祭神は豊玉比売命、彦火火出見命、玉依比売命、徳川家康公になります。本社は、 明治14年(1881)玉井宮と東照宮は合祀され、社名を玉井宮東照宮とし、県社に列格しました。その後、明治33年(1900)旧玉井宮の建物を移転し、西日本屈指の大拝殿の建立等大造営が行われました。
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素盞鳴神社

元亀三年に備後国鞆の浦祇園宮から素盞鳴命を勧請し、天王宮と称し、明治六年十二月に素盞鳴神社と改称した。文久三年十一月十日領主池田政詮が岡山藩主池田茂政と共に海岸防備のため、長浜砲台を巡察する途中、奉幣祈願している。後、鴨方藩主の崇敬が多大であった。昭和二十一年一月村社に列した。
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八幡神社

当社は、清和天皇貞観2年(860)庚辰8月14日宇佐八幡宮から勧請し、その後備中守藤原宗弘、藤原良之に命じて祖神天児屋根命を合祀して、同年良之を神主に任じた。天慶5年(942)壬寅3月15日伊勢大神を合祀する。
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白鬚宮

白鬚宮しらひげぐう住所〒700-0964岡山県 岡山市北区中仙道182電話番号086-241-0967FAX086-241-0967HP由緒・由来当社は後小松天皇の応永8年近江の白髭宮を勧請し、中仙道松之島に創建した。 文亀・永正の大洪水に...
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八幡宮

当社は御祭神の社記によると元和元年(1615)岡山城主池田忠雄が八幡村内の豊作と平安を祈念して造営した神社である。その後次第に衰微していたところ延宝4年(1676)時の岡山城主 池田綱政公が再興につとめ、まず山城国久世郡男山八幡宮(現在の石清水八幡宮)の分霊を勧請して遷宮し同時に社有地「6反8畝7歩外に竹林9反28歩」、社領「現米高60石」神饌料「5石」を下賜され、当時としては格別の厚遇で格式の高い大変権威のある神社となった。
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石高神社

当社の創立年月は不詳であるが、現存する神名帳で一番古い備前国総社神名帳綿抜本または総社本(863年頃)に石高神社と載っており、同山本本または八日市(938~947年頃)には正三位石高明神とある。平安時代の諸制度を編纂した延喜式(927)の神名帳には載っていないが、備前の式内、式外古社128社のうちの1社である。
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