奈良県

近畿地方

天河神社(天河大弁財天社)

多門院日記に、「天川開山ハ役行者 -マエ立チノ天女ハ高野 大清層都コレヲ作ラシメ給フ」 という一節があります。 これは室町期の傑僧多門院英俊の天河詣での記録です。
近畿地方

龍田大社

今から約2100年前、第十代・崇神天皇(すじんてんのう)の時代、国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」という御神託を授けられました。その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが当社の創建とされています。
近畿地方

橿原神宮

天照大神〈あまてらすおおみかみ〉の五代目にあたる神武天皇は、互いに争うことのない、永遠に困窮しない国を実現するため、九州の日向国〈ひむかのくに〉 高千穂から、国の中心地を目指し東へ向かいます。東遷〈とうせん〉の道中、豪族との争いや、相次ぐ兄弟達の不幸等、想像を絶する困難に遭いながらも、国内を平定され、ついに畝傍山〈うねびやま〉の東南 橿原宮〈かしはらのみや〉で第一代天皇として即位されました。
近畿地方

大神神社

当社の創祀に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります。
近畿地方

談山神社

飛鳥・法興寺で行われた蹴鞠会において出会った中大兄皇子 (後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、藤の花の盛りの頃、当社本殿裏山で極秘の談合をされました。『多武峰縁起』によれば、「中大兄皇子、中臣鎌足連に言って日く。鞍作くらつくり(蘇我入鹿)の暴逆をいかにせん。願わくは奇策を陳のべよと。中臣連、皇子を将ひきいて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。」と記されています。
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