長野県

中部地方

川中島古戦場八幡社

当社は平安時代中期(1087~1093)、信濃の国に流された村上顕清が、この地を訪れ武運長久の神「八幡大神」をお祀りされた事が始まりとされています。又、この辺り一帯の広原を神の御名に因んで八幡原​(はちまんぱら)と名付けられました。
中部地方

眞田神社

上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していました。
中部地方

深志神社

宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏の信仰と深く関わります。社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。
中部地方

手長神社

手長神社てながじんじゃ住所〒392-0003長野県諏訪市上諏訪茶臼山9556電話番号0266-52-1007FAXHP由緒・由来詳細MAP
中部地方

四柱神社

明治天皇御親政に当り、惟神の大道を中外に宣布し給う思召しを以て、明治7年2月筑摩県庁の所在地である松本に神道中教院(宮村町長松院跡、後神道事務分局)が設立され、院内に天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大神の四柱の大神が奉斎されてきましたが、新たに一社を興し、四柱神社として明治12年10月1日、現在地に厳かに鎮斎され、隣接して神道事務分局も新築されました。
中部地方

武水別神社

当社の創建に関しては、その年代は明らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
中部地方

長野縣護國神社

長野縣護國神社は、長野県出身の御英霊を奉斎する神社です。約1万坪の広大な敷地内には本殿や社務所だけではなく様々な施設を有し「弓道場」や「結婚式場」は県内外多くの方に利用していただいております。美須々の杜の美しい自然に包まれながら、心静かにお過ごしください。
中部地方

諏訪大社 下社春宮

JR中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座します。上社へは諏訪湖を隔て約13kmです。社頭から真直ぐ800m程伸びる道路はかつては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。
中部地方

諏訪大社 上社前宮

前宮御本殿は内御玉殿から200m程上段で、古くは神殿に付属したお社でした。高台で豊富な水や日照りが得られる良き地で、一説には御祭神が最初に居を構えられた諏訪信仰発祥の地とも伝えられています。現在の本殿は、昭和6年の神宮式年造営替古材の下附を受けて昭和7年に建てられたものです。
中部地方

諏訪大社 上社本宮

諏訪大社は社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ大木が建ち幣拝殿や左右片拝殿が横に並び、本殿を欠く等社殿の配置にも独特の形を備えています。中でも本宮は諏訪造りの代表的なもので、建造物も四社の中で一番多く残っています。また神体山を拝するという大きな特徴を持ち、祭祀研究の上からも注目されております。
タイトルとURLをコピーしました