北海道・東北地方 賀茂神社 本神社は元鹽竈神社に鎮座せられ、只州宮と称し元禄年間該神社造替の節、今の地に遷座され伊達藩の崇敬篤き社であった。元禄8年10月13日伊達綱村公の命により「只州の御社を別所に奉還すべき」とその社家鎌田信濃守に申しわたし11月13日には新しい御遷座の地を選ぶべく、御社くじを占し、現在の古内村を御社地と選定し、先ず下賀茂社の御社を元禄9年2月29日着工、同年9月23日鹽竈より正遷座の儀を行い、「御祖(みおや)神社」として奉斎した。 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県
北海道・東北地方 御崎神社 本社は、唐桑町の東南方に突出する岬に鎮座あり、気仙沼、大島の東凡そ4粁、遥か南に金華山を眺め、東北には綾里崎(気仙郡)を望む。宮城県の東北限で、その地勢は観跡聞老誌に「崎嶇盤旋而して竜蛇の尾を曳く如く」と記すように誠に尾崎の社号にふさわしく、且つ、社域は海洋に懸かって風光壮絶神気自からせまるを覚え、今、陸中海岸国立公園に指定されているのも故なしとしない。 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県
北海道・東北地方 薬萊神社 当社は天平九年(西暦七三七年)鎮守府将軍大野東人が軍事輸送の為に色麻柵より出羽国に至る通称「玉野道路」を開いた時、悪疫が流行し多くの兵士や人夫が斃れたので、将軍は薬莱山上に医薬の守護神『大己貴神』『少彦名神』を祀って病気の鎮伏と工事の完成を祈願し無事工事を終えたと伝えられ、これが当社創建の事となっております。 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県
北海道・東北地方 金華山黄金山神社 今から凡そ1270年前、聖武天皇の御世 天平21年(西暦749年)に、陸奥の国守百済王敬福が朝廷に黄金を献上しました。大仏建立に黄金を必要としていた天皇は大いに喜ばれ、年号を天平勝宝と改められました。 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県
北海道・東北地方 釣石神社 当追波地区は元来「舘ヶ崎」と称されていました。その奥地の国有林鷹ノ巣山のうち産土沢と称する山上に祀られていましたが、里人の便宜よく北上川沿いへの移動により、元和4年(1618年)現在地に遷宮したと伝えられています。明治初期、崖の中腹から突き出た周囲14メートルもの巨石があったことから、「釣山」から現在の「釣石」へ改められました。 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県
北海道・東北地方 二柱神社 昔から神様を一人二人と云わず一柱二柱といいました。当社はイザナギノミコト・イザナミノミコトの2人の神様をお祀りしている為、二柱神社と申します。 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県
北海道・東北地方 早馬神社 今から約800年前の建保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当であった梶原専光坊僧正景実【(かげざね〉、鎌倉武将 梶原平三景時公の兄)】は、正治元年(1199年)の源頼朝公の死亡、これを追うかのような梶原景時公一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住んだ。【梶原専光坊僧正景実は箱根別当行実の弟子、『吾妻鏡』では専光房良暹(せんこうぼう りょうせん)】 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県
北海道・東北地方 愛宕神社 当神社は古く羽州米澤に御鎮座になられ、天正19年(1591) 藩祖伊達氏十七世政宗公が、米澤より陸奥國玉造郡岩出山に移るに際して、社も岩出山 に御遷座、 慶長5年(1600) 千代城を青葉山に築城、 名を仙臺(台)と改められ、慶長8年(1603)政宗公入府に合わせ社も一時国分荒牧村(現元寺小路)に仮遷座を行い、同年仙台城や城下を一望できるこの愛宕山(以前天狗山とも称す)に御社殿を御造営になられ、御遷座申し上げ、誓願寺を別当寺とし、合わせて5貫720文を寄進されております。 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県
北海道・東北地方 櫻岡大神宮 仙台藩祖伊達政宗公、元和七年(1621年)に伊勢神宮よりご分霊を勧請し、宮城郡荒巻に祀り神明宮と称し伊勢堂山と号した。伊達綱村公、天和二年(1683年)に伊勢堂山の規模を拡張及び社殿を改築し、社領二十貫文の地を加美郡四竈村に於いて寄進され更に祭祀料玄米五石、小豆一石一斗を寄せ、惣頭一名、足軽四十人、人夫十人を派して祭典を執行し、神事を衛守せしめ、殊に奉行職をもって代拝とし広く人々に参拝せしめ、累代の藩主継嗣の折りに参拝することを例とし、大小の造営は悉く公費をもって修築なされるなど 伊達家累代崇敬の社であった。 2024.10.09 北海道・東北地方宮城県