三重県 松阪神社 当社は古来「意悲神社」(おいじんじゃ)と称し、平安時代以前の創立で、飯高の國式内社九座の一座と伝えられているが、その創立の年代は詳かではない。室町末期の天正十六年(1588年)蒲生飛騨守氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森と呼ばれていた丘に築城された時に、城の鎮守社と定めて、宵の森の南の丘に社を新たに御造営されて出来た神社である。 2024.12.24 三重県近畿地方
三重県 本居宣長ノ宮 ご存じのとおり、本居宣長は松阪が生んだ江戸期を代表する国学者です。著作「古事記伝」は宣長が三十五年かけて完成させた古事記の注釈書で、国学者の研究成果では最高峰とされています。宣長は日本の歴史をふりかえり、日本人のアイデンティティを深く探求した人でした。「もののあはれ」という考え方は日本人固有の感性の発見として示唆に富むものであり、全くの独創です。 2024.12.24 三重県近畿地方
三重県 二見興玉神社 二見浦の名称は皇大神御神幸の途次二見浦に着船せられたとき、倭姫命の御尋ねに大若子命より『速雨二見の国』と御答へしたに初まり、天下の絶勝宇内の霊域として、その名は夙に四方に喧伝せられ、立石(夫婦岩)の前に額づくもの目に相踵ぎ、殊に春秋の佳期には殷盛を極めるものであります。 2024.12.24 三重県近畿地方
三重県 頭之宮四方神社 当神社の傍(かたわ)らを流れる渓流「唐子川」の奥に、恐ろしい岸壁が聳(そび)え立つ高い山の上に、「中将倉(ちゅうじょうくら)」と呼ばれる場所があり、そこは昔「唐橋中将光盛卿」が居城を構えていた処であります。 2024.12.24 三重県近畿地方
三重県 多度大社 伊勢国(三重県)北部、古来、神が坐します神体山と仰ぐ多度山(標高403メートル)の麓に御鎮座する当大社は、御創祀は定かではないが、山中に遺された数多の磐座・御神石から推して、神代の古に遡ることが出来る。 2024.12.24 三重県近畿地方
三重県 椿大神社 伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀に「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」を祀っています。 2024.12.24 三重県近畿地方
三重県 伊勢神宮 わが国最初の正史『日本書紀』によると、天照大御神はお生まれになった時、「光華明彩、六合の内に照り徹らせり」と称えられ、この上なく輝かしい存在として、また神々の世界を治める日の神としても伝えられています。 2024.12.24 三重県近畿地方