九州・沖縄地方

大分県

早吸日女神社

「関の権現(ごんげん)様」として親しまれている早吸日女神社は、戦国時代に大友義統(よしむね)が海路で京都に向かう際に立ち寄り祈願したお宮で、今なお海にまつわる神社として多くの信仰をあつめています。
大分県

八幡竃門神社

仁徳天皇(在位312-399年)御宇のとき曰く、日本武尊および神功皇后(200年頃説)が西征のとき豊後州速見郡竈門荘亀山に行宮(天皇行幸の仮宮)を造る。このとき国常立尊、天照大御神を始め三十三神を奉斎する。
大分県

大分縣護國神社

大分県初代県令森下景端は、慰霊顕彰のために明治八年十月十八日この松栄山に「招魂社」を創建しました。この明治八年に祀られたのは、明治七年佐賀の乱で戦死した杵築の大山昌など十四柱、同年台湾出兵で戦病死した竹田の井上某など三柱、過ぎし明治維新の動乱のさい蛤御門の戦いで戦死した南大分荏隈の若杉直綱など五柱の英霊です。
大分県

八幡朝見神社

八幡朝見神社は、建久七丙辰年(1196)十月九日に、大友能直公により御創建されました。 豊前・豊後の守護職として、この地に赴任された大友能直公は入国するとすぐに、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮の御勧請を志しました。
大分県

春日神社

平安時代から続く県内有数の古社 春日神社の創建は古く、遠く平安時代にさかのぼります。貞観2年(860年)に国司藤原朝臣世数が、奈良春日大社の四所大神をお迎えしたとされる県内有数の古社です。
大分県

西寒多神社

旧国幣中社、豊後一ノ宮として広く知られる西寒多神社の由緒は、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の折、西寒多山(現在の本宮山)に行幸して四方の山々を御覧になり、そこに一本の白旗を立ててお帰りになった。
大分県

柞原八幡宮

当宮は承和三年(八三六)、右大臣・清原夏野が勅を奉じて国司・大江宇久に社殿を造営せしめ、爾来、国司の厚い崇敬を受け、一方皇室も厚く尊崇せられた。 又、嘉承三年(一一〇八)には、勅使の参向があり、敷地の四至を定め税を免ぜられた。
大分県

宇佐神宮

八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があります。宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。
熊本県

上色見熊野座神社

「異世界への入口」のような風景がSNSで話題になった、神秘的な神社です。神殿へ続く参道沿いには97基もの石灯籠が並び、苔むした緑色の世界に陽が差し込む光景はとても幻想的。神殿を抜け、より急な坂をのぼると、健磐竜命の従者・鬼八法師が蹴破ったという伝説が残る、巨大な縦横10mの大風穴「穿戸岩(うげといわ)」にたどり着きます。
熊本県

西岡神宮

当宮は、元明天皇により宇土の地の総鎮護として和銅6年(713年)、中原(壇原)に創建されたことが始まりです。当初は春日大神と住吉大神の勧請でありましたが、承久3年(1048年)、藤原道隆が八幡宮を合わせて祀ったので三宮大明神と称することとなり、現在でも三宮さんの名で親しまれています。
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