京都府 下御霊神社 当社は神泉苑御霊会に祀られた六座に二座加えた八座をお祀りしており八所御霊と申します。鎮座された年について雑誌などで間違って伝わっておりますが、本当の所は全く不明でありまして、おそらくこの頃祀られたと考えられます。初め愛宕郡出雲郷の下出雲寺(のちに廃絶)の境内に鎮座されたと伝わっております。今で申しますと寺町今出川の北辺りと考えられます。後に新町出水の西に移り天正18年(1590)に現在地に鎮座されました。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 御靈神社 本殿八座の御鎮座年月は詳ならざるも社記によれば、桓武天皇の御宇延暦13年5月崇道天皇の神霊を現今の社地に祀り給ひしを始めとす。其後仁明天皇、清和天皇両朝に至りて井上内親王、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫の神霊を合祀せられ貞観5年5月廿日神泉苑に六座の神座を設け悪疫退散の御霊会を勅修あらせられたるは史上明らかにして、当社御祭神を勅祭し給ひし始めなり。後更に以上六所の荒魂、火雷神と吉備聖霊とを併祭されるに至り、俗に社号八所御霊又は八所御霊大明神と称へ奉り国家守護。皇居御産土神、都民擁護の崇社として斯に長久に鎮座し給へるなり。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 九頭竜大社 昭和29年11月24日 ご祭神九頭竜弁財天大神様が開祖大西正治朗の夢枕に立たれ、「汝の身を社にする。千人万人無限に人を救う。奇蹟を以て速座に守護を與える。神は人を救って神界に上る。」とのご神託をお授けになり京都八瀬の地に奇蹟の御発祥をされました。御発祥当初より九頭竜弁財天大神様の大きな力が発揚され、数多くの方々がお蔭をいただかれております。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 護王神社 護王神社は京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、平安京の建都に貢献された和気清麻呂公(わけのきよまろこう)をお祀りしています。確かな創建年は伝えられていませんが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 三宅八幡宮 社伝によると、推古天皇の時代(6~7世紀)、聖徳太子の命により小野妹子が遣隋使として隋におもむこうとした折に、道中、築紫(※1)の辺りで病気になったところ、近くにあった宇佐八幡宮(※2)に祈願するとまたたくまに全快し、随に渡った後も、数々の 危難を免れ、無事帰国することができた。 聖徳太子の没後、上高野の地に移り住んだ小野妹子はその時の恩に報いるため、宇佐八 幡宮を勧請(※3)し、八幡神をお祭りしたと伝えられています。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 平野神社 奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本紀』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城宮の宮中(桓武天皇の父光仁天皇の御所)に祀られていました。ここ平野の地には、延暦13年(794)平安遷都と同時にご遷座されました。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 八坂神社 創祀については諸説ありますが、社伝としては以下の2つの説が伝わります。其の一、渡来人が神様をお祀りしたのがはじまり斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをのみこと)を当地(山城国愛宕郡八坂郷(やましろのくにおたぎぐんやさかごう)に奉斎したことにはじまる。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 下鴨神社 当神社の正確な創祀は不明ですが、崇神天皇の7年(BC90)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があるため、それ以前の古い時代からお祀りされていたと考えられます。近年の糺の森周辺の発掘調査では古代の土器や弥生時代の住居跡が発掘され、古代からの信仰を裏付けています。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 貴船神社 貴船神社の起源については、貴船大神が御鎮座することになった伝説が社記に残されています。「国家安穏 万民守護のため 太古 丑の年の丑の月の丑の日に、天上より貴船山中中腹 鏡岩に天降れり」とあり、現在丑の日が縁日とされている所以でもあります。 2024.12.25 京都府近畿地方