京都府 石清水八幡宮 平安時代初め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 西院春日神社 天長十年(西暦833年)二月二十八日、淳和天皇が仁明天皇に位をお譲りになり、淳和院(西院)にお移 りになったとき、勅諚により奈良の春日四座大神を勧請し、守護神とされたのに始まります。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 山王宮日吉神社 山王宮日吉神社は、宮津総氏神また宮津藩の守護神として、本殿右隣にある「杉末神社」を摂社として平安時代から続く神社です。御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)で、社記によれば平安後期に杉末神社境内に勧請されたとあります。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 梅宮大社 当社は今から凡そ千三百年前、橘氏の祖・諸兄(モロエ)公の母、県犬養三千代(アガタイヌカイミチヨ)が、橘氏一門の氏神として始めてお祀りした神社です。その鎮座の地は山城国相楽郡井出庄(ヤマシロノクニソウラクグンイデノショウ)すなわち、今の綴喜群井出町付近であったと伝えられています。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 京都ゑびす神社 京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 白峯神宮 幕末、風雲急を告げる中、121代孝明天皇は、保元の乱(1156)によって悲運の運命を辿られた第75代崇徳天皇の御霊を慰め、かつ未曾有の国難にご加護を祈らうとされ、幕府に御下命になり四国・坂出の「白峰山陵」から京都にお迎えして、これを祀らうとされましたが叶わぬままに崩御されました。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 建勲神社 明治2年(1869)、明治天皇より戦国乱世において天下統一、朝儀復興などの事業を進めた信長公の御偉勲に対し特に神社創立の宣下があり、さらに明治3年(1870)には神号「建勲」の宣下がありました。明治8年(1875)、別格官幣社に列せられ、山城國船岡山に社地を賜りました。明治13年(1880)、社殿を新たに造営し、御嫡子信忠卿を配祀し、明治43年(1910)に本殿以下諸舎を山麓から山上の現在の社地に移建しました。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 宗像神社 帝王編年記、三代実録の古文書の中に当社を小一条殿と称され、清和源氏の祖、清和天皇御降誕の地と記されています。花山院家紀には、花山天皇の御代、内裏を一時的に移され、花山院殿と称されたことがあると記されてています。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 由岐神社 天慶に入り、都は大地震や平将門の乱(天慶の乱)と相次ぎの災いで世情不安となりました。天下泰平と万民幸福を祈念致し、朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)の9月9日御所にお祀りされていた由岐大明神を都の北方にあたる鞍馬に地にお遷しされました。この御遷宮の時、鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々には篝火を焚いて、神道具を先頭に文武百官供奉の国家的一大儀式により御勧請されました。 2025.01.04 京都府近畿地方
京都府 大石神社 大石神社は、兵庫県赤穂市に位置する、赤穂事件で討ち入りを行った47人の赤穂浪士を祀る神社です。事件の中心となった家老、大石良雄にちなみこの名前が付けられました。神格化した人間を祀る神社で、47人の赤穂浪士と途中で自害した萱野重実が主神です。中には、赤穂浪士の木像や遺品、大石良雄の長屋門などが展示されています。 2025.01.04 京都府近畿地方