京都府 若宮八幡宮社 平安時代の天喜元年(1053)に後冷泉天皇の勅願により、源頼義が六条醒ヶ井(現在の西本願寺の北東辺り)に創建したのが当社の始まりと伝えられ、当初は六條八幡、左女牛八幡(さめがいはちまん)とも呼ばれた。源氏一族や武士からの信仰が厚く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め、隆盛を極めた。その後、応仁の乱により荒廃し、社地を転々として慶長10年(605)に五条坂のほぼ中央に当たる当地に移された。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 白雲神社 京都御苑内に鎮座。旧西園寺家の鎮守社で、祭神は市杵島姫命、妙音弁財天とも称し、音楽の神様としても信仰されている。1224年(元仁1)、西園寺公経が北山殿(現在の金閣寺の地)造営の際に建立した妙音堂に由来するとされる。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 猿丸神社 平安時代の末期、山城国綴喜郡"曾束荘"(現在の滋賀県大津市大石曽束町)に猿丸大夫の墓があったとされ、山の境界争論により、江戸時代初期にほぼ現在地に近い場所に遷し祀ったものと思われ、その霊廟に神社を創建したのが始まりです。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 猿田彦神社 祭神、猿田彦大神。平安期、最澄が座禅のために霊窟を求めて探して歩いていたところ、猿田彦神が現れてこの地を示ししため、座禅石の傍らに猿田彦神を祀ったことを創祀の始めと伝える。その後嵯峨天皇が行幸の際には猿田彦が道案内をしたため、天皇は社殿を建立したといわれる。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 幸神社 出町桝形商店街を抜け、住宅街を2分ほど歩いた所にひっそりとある「幸神社(さいのかみのやしろ)」で京の都の鬼門を守ってきた猿神像が祀られている最強の古社です。天照大神(アマテラスオオミカミ)の神代に二人の神が結ばれた二神も祀っていることから日本最古の縁結びの社としても有名。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 金刀比羅神社 旧峯山藩主 京極家は、代々縁の讃岐金毘羅権現を深く信仰され、この峰山の地に金毘羅社を勧請したいと念願されていました。7代藩主 京極高備(タカマサ)公は、同族のよしみから、丸亀・多度津の両京極家にあっせんを依頼し、金毘羅宮にも交渉を続けられました。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 宇治上神社 応神天皇の末の皇子であった菟道稚郎子は幼い頃から博識聡明だった。そのため父君の応神天皇が大切に手をかけて育まれ、皇太子となった。しかし、応神天皇が亡くなられ、菟道稚郎子は兄である大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)に天皇の位を譲られた。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 生身天満宮 生身天満宮は菅原道真公が左遷を命ぜられた延喜元年(901年)に、武部源蔵自らが菅原道真公の御木像を刻み、生祠(いきほこら)を建てて奉齋したのを創祀としています。延喜3年(903年)2月25日空しく無念にも菅原道真公が大宰府で薨じられたため、この生祠を霊廟と改め、途絶えることなく日々神忌に務めていました。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 高松神明神社 当社は「高松殿の旧跡にして、御鎮守の御社なり」と古記録にある。平安初期、醍醐天皇の皇子高明親王が七歳の時、源朝臣の姓を賜り、左京区の一条一坊に源高明公の御殿として高松殿を造営、同時に伊勢から天照大神を勧請し、鎮守の社として祭った社が当社の初めである。高明公の娘明子が藤原道長と結婚し、高松殿を住居とした。 2025.01.06 京都府近畿地方
京都府 粟田神社 スサノオノミコト・オオナムチノミコトを主祭神として祀り、厄除け・病除けの神と崇敬される。京都の東の出入口である粟田口に鎮座する為、古来東山道・東海道を行き来する人々は旅の安全を願い、また道中の無事を感謝して当社にお参りされ、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになる。 2025.01.06 京都府近畿地方