近畿地方

京都府

伏見稲荷大社

当社の起源については「山城国風土記」の逸文に《秦中家ノ忌寸等の遠祖、伊呂具秦公の的にして射た餅が白鳥と化して飛び翔けり、その留った山の峰に“稲”が生じた奇瑞によって、イナリという社名になった》とあり、また「神祗官勘文」や「年中行事秘抄」などに引く「稲荷社禰宜祝等甲状」には《この神は、和銅年中、初めて伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐してより、秦氏人等が禰宜・祝として春秋の祭りに仕えた》とあります。
京都府

地主神社

社伝によれば、地主神社の創建年代は、神代(かみよ)つまり日本の建国以前とされ、 あまりの古さにその歴史は明らかではありませんでした。 しかし近年の研究により、本殿前の「恋占いの石」が縄文時代の遺物であるとされています。また地主神社の鎮座する辺りは、古来「蓬莱山(宝来山)」と呼ばれ、 不老長寿の霊山として信仰を集めてきました。京都盆地が湖となっていた数万年前から、この蓬莱山は陸地であり、信仰の場であったと伝わっています。
滋賀県

三尾神社

琵琶湖疏水が長等山に入るあたりに鎮座する。応永33年(1426年)に足利将軍が社殿を再興したものと伝え、明治9年(1876年)に現地へ移された。珍しい兎の神紋が特徴の神社である。
滋賀県

油日神社

油日大神のみ名は記紀にも見えず、又油日の名も国内に見当らない。たゞこの地に於いてのみ千数百年の昔から、油日大神とのみ申しあげて篤い信仰がさゝげられて来たのである。油日大神はアブラのヒの大神さまであって、万有始動の根元神として諸事繁栄発展の大本を司られる大神さまである。
滋賀県

日牟禮八幡宮

伝記によると、第十三代 成務天皇が高穴穂の宮に即位された折(西暦一三一年)、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて当地に地主神である大嶋大神を祀られたのが、鎮座の始めとされています。
滋賀県

馬見岡綿向神社

近江鉄道日野駅の東約3.8km。もとは、綿向山(1110m)の頂上に鎮座していましたが、蒲生氏が城下町を開いてから現在地に移され、湖東の大宮として信仰を集めました。昔、山頂から2羽の雁が飛んできて消えたのを見て、村人たちが神が降りてきたと思って、山麓に社を建てたという話が残っており、このことから「二羽雁」が神紋(しんもん)となっています。
滋賀県

天満宮 北野神社

彦根藩二代城主井伊直孝公は幼少時上野国碓氷郡後閑村(現在の群馬県安中市下後閑)に鎮座する威徳山北野寺に預けられ、境内の薬師堂にて寝食し、住僧慶算を師として学問などに邁進されました。北野寺の境内に学びの神様として信仰される菅神(菅原道真公)をお祀りした天満宮があり、直孝公十一歳のとき天満宮御本殿の左右に《杉・檜》の二樹の苗木を植えられ、神前にて「立身出世・武運長久・子孫繁栄・天下泰平」を祈願されました。
滋賀県

瘡守稲荷神社

瘡守稲荷神社かさもりいなりじんじゃ住所〒522-0069滋賀県彦根市馬場1丁目4電話番号FAXHP由緒・由来詳細MAP
滋賀県

白鬚神社

近江最古の大社で、社記によると垂仁(すいにん)天皇の25年(第11代・2000余年前)、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が社殿を御創建(御再建とも)、天武(てんむ)天皇(第40代)の白鳳(はくほう)3年(675)勅旨(ちょくし)を以て「比良明神(ひらみょうじん)」の号を賜るとある。
滋賀県

胡宮神社

足下に名神高速道路を見下ろす眺めの良い丘の上に立ち、寿福・延命に御利益があると伝えられています。青龍山(せいりゅうざん)の巨石信仰が起源といわれ祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)。もとは敏満寺(びんまんじ)の鎮守社であったので、敏満寺の境内であったといわれる場所に建っています。
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