近畿地方

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杭全神社

杭全神社創建の御由緒を、当社が所蔵する絵巻『平野郷社縁起』(享保三年(1718)成立)を元にご紹介します。
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泉殿宮

当宮往古は、次田ノ社と称え奉り、河内の次田連の祖神 天香山命を氏神として、五穀の神「宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)」[伏見稲荷大社の御祭神]を祀(まつ)る。
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大鳥大社

当社は延長5年(西暦927年)に完成した延喜式神名帳所載の、霊験特に著しいと言われる名神大社であり、和泉国の一ノ宮であります。
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誉田八幡宮

当宮の歴史は、応神天皇陵をおまつりする信仰からはじまっています。誉田八幡宮は、御陵の後円部の方に鎮座しています。 当社の宝物「誉田宗庿縁起」永享5年(1433年)将軍 足利義教奉納)によると、 西暦559年に欽明天皇の勅願によって御陵前(後円部)に社殿を建立し、八幡大菩薩を勧請した。と記されています。 あくまでも縁起の話ですが、これを誉田宗廟といいます。
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磐船神社

自然・巨石信仰・天都神の降臨・仏教の伝来・神仏習合・神仏分離/日本の信仰の歴史を物語るお宮です。
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素盞烏尊神社(片山神社)

大和時代から平安時代にかける、その昔、この地より千里に至る一帯が丘陵地になっており、良質の粘土が多量に出土し、その頃の人達は「須恵器」や「瓦」を作り、生計をたてていた。
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開口神社

神功皇后が三韓(朝鮮半島)より石津浜に上陸され、塩穴松原にて忍熊王の反乱を平定すべく戦勝祈願の祈祷をした折、老漁師が赤目魚(鯛)を献上したことを吉祥の証と喜ばれ、八重潮路に向かう地に塩土老翁の御魂をお祀りせよとの詔により開口神社が創建されました。
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建水分神社

創建は第10代崇神天皇5年(西暦前92)で、同天皇が天下饑疫にみまわれ、人民が農事を怠った時、諸国に池溝を穿ち農事を勧められ、この時勅して金剛葛城の山麓に水神として奉祀せられた。
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大津神社

大津神社鎮座の起源は「小津の泊まり」に祀られた小祠であったといわれます。その後鎌倉時代に八幡大神を勧請し、以来「若宮八幡宮」と称していましたが、明治四十一年に、 宇多神社、神明神社、菅原神社の 三社を合祀し、事代主神社を境内社として合併し、式内粟宮を 境内に移築した際に、「大津」の総鎮守として、「大津神社」と改称されました。
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堀川戒神社

堀川戎神社は、欽明天皇の御代〈539~571〉止美連吉雄(とみのむらじよしお)が蛭子大神の神託を受け堀江で玉を得て、これを御霊代(みたましろ)に蛭子大神を富島に祀り、瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と名付けたのが創祀と伝えられています。
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