関東地方

茨城県

加波山神社

加波山神社かばさんじんじゃ住所〒300-4403茨城県桜川市真壁町長岡809電話番号0296-55-1012FAX0296-55-1012HP由緒・由来常陸国加波山は、南側に筑波山、足尾山、北側には燕山、雨引山、御嶽山と連立し、茨城の八溝山...
茨城県

茨城県護国神社

幕末から明治維新にかけて国の為に殉じた水戸藩関係の烈士から先の大東亜戦争に至るまでの茨城県出身の御英霊 63,496柱当社が建立するこの桜山は景勝の地であり、古くは「白雲岡」と呼ばれていました。
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吉田神社

尊が東夷平定の帰途、常陸を過ぎて兵をこの地朝日山に留めて憩わせた故事を以って、この地に神社を創建し尊を奉祀した。尊の御休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め、神聖な処として伝え残されている。
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水戸東照宮

水戸東照宮は元和七年(1621年)四月二十一日に水戸初代藩主徳川頼房公が、父徳川家康公の御霊をこの地に祀ったのがはじまりです。社殿をはじめ境内に諸建造物が完成。当初は神仏習合で仏祭だったが、天保十四年(1843年)第九代藩主斉昭公が従来の仏祭を廃止、神道による祭祀にあらためられました。 当時この地名は霊松山といわれていましたが、元禄十二年(1699年)第二代藩主光圀公によって常葉山とあらためられました。
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酒列磯前神社

平安時代に編纂された歴史書である「文徳天皇実録」によれば斉衡三年(856年)12月29日に常陸国鹿島郡大洗の海岸に御祭神大名持命・少彦名命が御降臨になり、塩焼きの一人に神がかりして、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」(現代意訳:私は大名持、少彦名命である。日本の国を造り終えてから東の海に去ったが、いま再び民衆を救うために帰ってきた。)と託宣され、当社「酒列磯前神社」が現在のひたちなか市磯崎町に創建され、また同時期に現在の東茨城郡大洗町には「大洗磯前神社」が創建されました。
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大洗磯前神社

平安時代の歴史書である『日本文徳天皇実録にほんもんとくてんのうじつろく』によると、文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日、現在の神磯に御祭神の大己貴命・少彦名命が御降臨になり、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。今民を済すくわんが為、亦帰またかえり来たれり」と仰ったことから、当社が創建されたと伝わっています。その後、国からお供え物をいただける数少ない神社の一社となり、更には「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。延喜式神名帳(平安時代の神社名鑑)では霊験あらたかな神社を表す「大社」とされ、明治時代には国幣中社という社格を賜りました。
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筑波山神社

筑波山神社は三千年以上の信仰の歴史を持つ霊峰「筑波山」を御神体と仰ぐ古社で、境内は中腹の拝殿より山頂を含む約370haにおよび、山頂よりの眺望は関東一円におよびます。高く尊い御神徳により、年間を通して多くの方が参拝に訪れます。結婚式や縁結び、交通安全、厄除け等の祈祷も毎日斎行いたします。
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一言主神社

一言主神社は大同四年(西暦八〇九年)に創建されました。祭神の一言主神は、言行一致の神様とされ何事も道理をわきまえ、良いことにつけ、良からぬことにつけ、よく聞き分けて人々の幸福のために直ちに御利益を授け、一言の願い事でも疎かにせず願いを叶えてくださるといわれています。
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笠間稲荷神社

笠間稲荷神社かさまいなりじんじゃ住所〒309-1611茨城県笠間市笠間1番地電話番号0296-73-0001FAX0296-73-0002HP由緒・由来当社の御創建は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651)と伝えられています...
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常陸國総社宮

約1300年前の7世紀、現在の茨城県は常陸国と呼ばれていました。広大で海山の幸に恵まれたこの国は全六十余国のうち最上の「大国」とされ、常世の国とも称される憧れの聖地でした。
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