関東地方

茨城県

八坂神社

祭神は建速素戔嗚尊(たけはやすさのをのみこと)。応永年間(1394~1428)に現在の真鍋の地に鎮座されたと伝えられ、江戸時代までは牛頭天王社(俗に天王様)と呼ばれ、土浦城の鎮守として城主土屋家の崇敬を受け、明治以降から八坂神社と改称し現在に至ります。創祀以来、六百有余年の間、土浦の郷の鎮守として護り、祀られてきました。
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羽黒神社

羽黒神社はぐろじんじゃ住所〒308-0021茨城県筑西市甲37電話番号0296-24-1409FAXHP由緒・由来詳細MAP
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大宝八幡宮

大宝八幡宮は、白鳳時代の末期、文武天皇の大宝元年(七〇一)、藤原時忠が、常陸国河内郡へ下向の時、筑紫(大分県宇佐市)の宇佐八幡宮を勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)して創建されたという。東国平定のための鎮護の神として、八幡宮を勧請したのである。宇佐八幡宮は、莵狭津彦命を祖とする宇佐諸石が、欽明天皇二十九年(五六八)に八幡神を勧請したのに始まるという。八幡神とは、応神天皇を主座とし、文武の神として尊崇されており、八幡宮の祭神として祀られる。
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常磐神社

明治初年義公(第2代藩主徳川光圀公)・烈公(第9代藩主徳川斉昭公)の徳をしたう多くの人達によって偕楽園内に祠堂(しどう)が創立されました。明治6年(1873)明治天皇の勅旨をもって『常磐神社(ときわじんじゃ)』の御社号を賜りました。同年、県社に列格しました。
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常陸国出雲大社

平成4年12月4日、島根県出雲大社よりご分霊をご鎮座。「日本文徳天皇実録」(871年)によると、ご祭神大国主大神は、神代の昔、常陸の国(現在の茨城県)の少彦名神(すくなひこなのかみ)と共に国づくりに励まれたと伝えられています。大神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)に国土をお譲りになり、日本の建国に大きな功績をお立てになりました。
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花園神社

創始は桓武天皇の御代、延暦14乙亥年(795年)4月18日征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州下向の折に霊夢によって創建したと伝えられている。807年4月花園山と号づけ、平城天皇より勅額が掲げられ満願寺を開闢す。天長年中(824年~834年)釈円仁(慈覚大師)が東国に頭陀の折、当山に修行し、貞観2年(860年)に満願寺を再興した。以来天台宗満願寺社僧により奉仕され武州東叡山の末寺であった。
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守谷総鎮守八坂神社

八坂神社は約1200年前の大同元年(806年)9月27日守谷市本宿天の窪と呼ばれる地(現在の高野地区本宿)に、神主吉信により守谷郷の守護所として牛頭天王宮をお祀りしたのが始まりとされています。現在の本町に遷座されてから約400年経過して現在に至っています。お祀りされている素戔嗚尊(スサノヲノミコト)を牛頭天王(ゴズテンノウ)とも呼んでいることから、古老たちは天王様と呼び守谷近隣の人々より信仰を集めています。
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大杉神社

稲敷市阿波の大杉神社は、全国に670社ほどある大杉神社の総本宮です。大杉神社の鎮座する場所は、『常陸風土記』に「安婆嶋」として登場します。霞ヶ浦、利根川下流域、牛久沼、印旛沼、手賀沼、小貝川下流域などを内包する常総内海(常総内湾)に突き出すような半島地形だったことから、古代においてこの地は内海に浮かぶ島のように思われておりました。
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水戸八幡宮

当宮は文禄元年(1592)佐竹義宣公によって創建されました。義宣公は天正十八年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、翌十九年に常陸太田より水戸に居城を移し、その翌年の文禄元年(1592)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎しました。のち八幡小路(現在の北見町)を聖域と定め、慶長三年(1598)に御本殿(国指定重要文化財)を建立し、水府総鎮守の社と定めました。
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鹿島神宮

鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。
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