関東地方

関東地方

鹿島神社

仁明天皇の承和十二年九月二十八日の創建とされます。大永、永禄年間に宇都宮盛綱、宇都宮広綱などが守護職と称して慶長九年には徳川家康より祭祀料として黒印を付せられ、慶安元年九月に三代将軍徳川家光より社領七石の朱印を賜りました。明治十年には社格村社に加列せられ同十二年に社殿を再建しましたが、大正四年一月に大火に遭い現在の社殿は昭和二年十月四日に再建されました。
関東地方

大前恵比寿神社

大前恵比寿神社の御祭神は「恵比寿様」(事代主神)で、延喜式内「大前神社」の主祭神「大国様」(大国主神)の御子神様です。「恵比寿様」はお父様の「大国様」を支え、親子仲良く力を合わせて産業発展のもといを築かれました。また、諸々の知恵を授けられ、人々に幸福を与えられて、常に笑顔を絶やさないことから「福の神様」として、古来から尊ばれてきました。そして、よく言う「二福神」とは、大前神社の「大国様」と大前恵比寿神社の「恵比寿様」の事を言います。
関東地方

報徳二宮神社

明治二十六年起工 同三一年に鎮座祭を執行 同三三年に県社に列せられるご祭神・二宮尊徳は今市の報徳役所にて逝去しました。 その後、尊徳の終焉の地である由緒を持つ今市に神社が創建され、 今日まで学問・経営の神様として人々に親しまれています。
関東地方

唐澤山神社

明治十三年十月、藤原秀郷公の子孫佐野氏及び旧臣らが、秀郷公の遺徳を称え公の御霊を祀る神社創立のため東明会を組織する。その後明治十六年十月、東明会の尽力により唐澤山古城本丸跡地に当神社が創建鎮座し、明治二十三年十二月一日、別格官幣社(旧社格)に列せられる。
関東地方

日光二荒山神社

古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486メートルを神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。境内は、日光国立公園の中枢をなす、日光連山をはじめとて、御神域は、3,400ヘクタールにおよぶ広大な境内地です。
関東地方

八坂神社

康平六年(1063年)当時の宇都宮城主藤原宗円(宇都宮氏の祖)が御本丸に築城、その城のうしとらの方、鬼門除の鎮護として奥州街道の出入口に当たる今泉の地に神明宮を創始した。明治四十三年四月、博労町の八坂神社と合祀、社号を八坂神社と改称した。
関東地方

芳賀天満宮

社伝によれば、鎌倉時代の貞永2年(1233)に創立されたと伝えられております。古くは山城国の北野天満宮に象りて北野原と号し北原天神と称した。宇都宮頼綱の四男で多功城を築く宇都宮石見守宗朝の11代子孫、秀朝が永禄元年(1558)に修覆を加えると元禄10年(1697)記しの由来書にあるなり。
関東地方

今宮神社

当社は、後冷泉天皇の公平3年(1060年)勝山城主氏家公頼が城中守護として、須佐之男命・大国主命・事代主命・豊城入彦命を御祭神として創建される。その後正安2年(1300年)に、四代城主氏家公宗の束ねる24郷の総鎮守として、鎮座地を現在の馬場に遷し奉り、持ち回りで毎年の祭礼を執り行う。
関東地方

磯山神社

磯山神社は、老樹うっそうと茂り、幽玄な雰囲気に包まれている。社伝に一条天皇の永延二年(988)の創建と伝えられる古社である。近世には三代将軍徳川家光より御朱印地を附せられてより、代々の将軍からも同待遇を受けた。
関東地方

安住神社

安住神社の草創は、平安初期の昌泰2年(西暦899年)、新井吉明が国家鎮護のために摂津住吉大社の大神の御分霊をこの地に勧請したものです。底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神は、伊邪那岐命が禊ぎ祓えをなされたときにお生まれになられた祓へ神であり、罪けがれや厄事を祓い清めてくださる「厄祓い・清め祓いの神様」として篤く信仰され、殊に厄除け・方位除け(八方除け)・災難除け等の御利益があります。
タイトルとURLをコピーしました