関東地方

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高麗神社

当社は、高句麗からの渡来人 高麗王若光を主祭神として祀る社です。他に、導きの神 猿田彦命、長寿にして長く朝廷に仕えた武内宿祢命が祀られています。天命に則り、正しい道に導かれ、心身共に健康にして天寿を全うすることは当社の御神徳と言えます。
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鷲宮神社

当神社は、出雲族の草創に係る関東最古といわれる大社である。神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。崇神天皇の御世には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。
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金鑽神社

神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られ、御嶽山からは鉄が産出したという伝承がある。社名「金鑚(かなさな)」は、古くは「金佐奈」と記載され、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源とも、 また 産出する砂鉄が昆虫のサナギのような塊だったため「金サナギ」が語源とも考えられている。
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寳登山神社

荒川の左岸に山裾をひろげる宝登山497.1㍍の山頂に奥宮が、麓の山懐に抱かれるような形で本社が鎮座いたします。今からおよそ1900年の昔の事、第12代景行天皇の皇子日本武尊が東国平定後に秩父の地にお入りになり、秀麗な山容に魅了されミソギを済ませ山頂へと向かいます。しかし突然の山火事に進退が極ったその時忽然と山犬たちが出現し瞬く間に火を消し止め、尊一行を頂上まで案内すると山犬たちは姿を隠してしまいました。
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仙波東照宮

喜多院の南側には、仙波東照宮があります。元和3年(1617年)、家康の遺骸を久能山から日光へ運ぶ途中、喜多院で法要が営まれたことにより、後の寛永10年(1633年)に建立されました。日光・久能山とともに三大東照宮といわれています。現在の建物は寛永17年(1640年)に再建されたもので、重要文化財に指定されています。
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久伊豆神社

久伊豆神社は久伊豆大明神と古来氏子・崇敬者から崇められてきた、国造りの大神・縁結びの神・福の神として知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)(大国さま)と、その御子神で父神と共に代表的な福の神である言代主命(ことしろぬしのみこと)(恵美須さま)を主祭神とし、また配祀として大国主命の御女子神である高照姫命(たかてるひめのみこと)、言代主命の御妃である溝咋姫命(みぞくいひめのみこと)、そして皇祖天照大御神(あまてらすおおみかみ)の第二の御子であり、出雲国造いずもの(くにのみやつこ)の祖先神である天穂日命(あめほひのみこと)の三柱を奉斎しています。
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調神社

調神社つきじんじゃ住所〒330-0064さいたま市浦和区岸町3-17-25電話番号048-822-2254FAXHP由緒・由来詳細MAP
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秩父神社

秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
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大宮氷川神社

氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられます。第十二代景行天皇の御代、日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっております。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わります。
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榛名神社

延長5年(927年)に完成したこの記録には、全国の主要な神社名を書きあげた『神名帳』があり、その中に上野国十二社の群馬郡小社とし て榛名神社は位置づけられています。この記録に登載された神社は「式内社」と呼ばれ、格式の高い神社と考えられています。これが榛名神社が歴史書の中で取 り上げられた最初だといわれています。
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