関東地方

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浅間神社

浅間神社せんげんじんじゃ住所〒220-0072神奈川県横浜市 西区 浅間町1ー19ー10電話番号045-311-2891FAX045-313-0038HP由緒・由来詳細MAP
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杉山神社

当神社は、白鳳3年弥生20日の創建と言う。武相の地杉山社多きも、延喜式内の杉山神社は当社なりと言伝う。当神社の効顕の著しきを以て近隣に杉山社の名称多くなれりとも言う。古くより武蔵国戸部村の鎮守にして当地開拓の祖神なり。歴代の国守、地頭、代官等の尊信甚だ厚く、幕府よりは、御朱印を附与しありと言う。
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一之宮社

当神社は武蔵国(東京都・埼玉県一円・神奈川県の東部)の一之宮(埼玉県大宮市、元官幣大社)氷川神社を本社とする洵に悠久なる歴史を持つ神社であります。永禄4年9月1日、百七代正親町天皇の御宇(紀元2221年・西暦1561)、現在地に勧請創立され、明治の初年ごろまでは一之宮大明神、一之宮明神社と称され、光輝ある武蔵風土記にも不断の由緒を有し、古伝説もあり霊威赫々尊崇感謝の奉祀がいまに続いております。
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笠のぎ稲荷神社

天慶年間(938~947)に、淳和天皇勅願所浦島院勧福寿寺の僧侶が隣域の山腹(稲荷山)に社殿を建立し、伏見稲 ラ大社の御分霊を勧請したことが創祀と伝えられ、同寺の守護神、附近一帯の産土神として崇敬を集めていました。文永11年、蒙古来寇の折りには、鎌倉の執権北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納して、国家の安泰を祈願しました。
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洲崎大神

畏くも御祭神天太玉命は往昔祭政一致の時代より神祇政治の祖神として信仰され、天比理刀賣命はその御妃でいらっしゃいます。源頼朝公は石橋山の合戦に敗れ、相州真鶴より海路安房に渡り、安房洲崎の安房神社に参籠、再起を祈願した後、遂に天下を平定して鎌倉幕府を開かれました。
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劔神社

劔神社つるぎじんじゃ住所〒225-0013神奈川県横浜市 青葉区 荏田町822電話番号045-941-3302FAX045-941-3302HP由緒・由来詳細MAP
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醫藥神社

天正年間(安土桃山時代)の創建と伝えられる。真言宗関東三ヶ寺の一であった医王山薬師院東光寺の医王山の医と薬師院の薬をとって、医薬神社は寺院の境内に祀られて来たのである。
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天満宮

正中2年(1325)5月25日夜、当地申酉の方より光物現れ、しきりに震動した。夜に至るも4辺昼の如く明く、光物は遂に当地の山中に鎮り、昼夜電光乱れ飛び、人々近づくことが出来なかった。時に小蛇、梅の若木の下に現れ、異香を放って正しく天神に観音の垂迹と思われた。これこそまさに衆生済度の方便、大慈大悲の誓なりとて、奥禅寺弁殊法印先達となり榊の枝を取って前に置くと、小蛇は榊枝の上に留った。時に領主桃井播磨守直常、近く之を見聞きし信心止みがたく、遂に社を建立せしめ、当所一帯の氏神と仰いだという。大正六年、神饌幣帛料供進社に指定された。
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八幡大神

当神社は後鳥羽院建久三年(1192年 鎌倉時代)九月鈴木村の鎮守として仝村字会下谷に勧請奉斉し、鶴崎八幡と称す。寛永八年仝村字表谷に社殿を建立して奉遷し、其後寛文七年時の代官伊奈半十郎手代新井孫兵衛により社殿を再建し若宮八幡と称した。
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住吉神社

往昔、摂州住吉大神を勧請し、小机領総鎮守と伝えられている。新編武蔵風土記稿に、「住吉神社字宮原と云所に在り、此辺は惣て丘にて下に載する古城跡の西に在り、風景勝れたる所なり、本社宮作りにて覆家あり云々」とあるが、創立由緒等は史料に乏しく詳かではない。ただ、慶長年間に末社稲荷社が川向村と東本郷村へ分霊として奉斎された。明治六年、村社に列格、明治43年4月3日、村内無格社白山社・愛宕社・神明社を合併した。大正15年9月、神饌幣帛料供進社に指定された。終戦後、宗教法人として今日に至る。
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