関東地方 鬼鎮神社 1182年、畠山重忠が菅谷館築造の際に鬼門除けとして金棒を持った鬼の像を奉納したのが始まりとされています。「鬼」を祭った全国でも珍しい神社で、毎年2月3日には「福はうち、鬼はうち、悪魔そと」という変わった掛け声の節分祭が催されています。また、勝利の神の神社としても知られ、戦時中は軍人が武運を祈ったことでも知られています。 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 椋神社 日本武尊東夷征伐のとき「日本武尊当地赤柴にて道に迷われた折、お持ちになった鉾の先から一条の光が走り、その方向に大きな椋の木が立ち、根方の泉近くに猿田彦大神が立たれ、赤井坂に導かれる。これにより大勝を得られたので、尊は喜ばれて井泉の辺に鉾を神体として猿田彦大神を祀り給うた。これを当社の創めとする。鉾より光の出たところを光明場(あかしば)という。」 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 瀧宮神社 深谷市の中心地は南を流れる荒川、そして櫛引台地と北の利根川・小山川によって形つくられた妻沼低地からなっています。 ここ瀧宮の地は台地と低地の境目に位置し、秩父山地に降る雨は荒川の流れとなって流れ来て、 台地の地下深くに浸透し湧き水となって台地の北端にあるこの地に現れ、 大昔から人々が生活を営む場所として大事にされてきました。そうした痕跡が土器や住居跡として掘り出されました。 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 大沢香取神社 香取神社の創立年代は不祥であるが、500年前応永年間と推定され、五穀豊穣及日常生活に関する一切のことをお護りになる神として、この尊い御神徳は、古くから招福除災の鎮守神と土地の人により深く信仰されている。当神社は武蔵国東部の地域に当たり、下総国一ノ宮香取神宮の御子社として埼玉県120社余りの内東端に位置し、日光街道に面し、武州大沢宿として、古くから開け、江戸時代には武士、町人、百姓の往路、帰路の旅の安全と家族の安泰を祈願して参詣休憩する人が後を断たず、其の尊い御神徳恩恵は広く関東一円に及び敬仰されていた。 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 行田八幡神社 当神社は、元和・宝永・弘化の年間における行田町大火の際、再三の類焼の災禍に会い、旧記重宝等を焼失して御創祀の次第は判然と致しませんが、口碑によると源頼義・義家が、奥州討伐のためこの地に滞陣した折、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられています。 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 川越氷川神社 川越氷川神社は今から約千五百年前、古墳時代の欽明天皇二年に創建されたと伝えられています。室町時代の長禄元(1457)年、太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により篤く崇敬されました。 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 三峯神社 三峯神社の由緒は古く、当山大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。景行天皇の命により東国平定に遣わされた尊は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中三峯山に登り、山川が清く美しい様子をご覧になり、国をお生みになられた二神をおしのびになって仮宮を建てお祀りし、この国が永遠に平和であることを祈られました。この時、尊を道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされています。 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 箭弓稲荷神社 当神社のご創建は、和銅5年(712年)と伝えられ、規模の大きさ、ご社殿の荘厳さとご霊験のあらたかさで、大勢の方々の信仰を集めています。社記によると、平安時代の中頃、下総の国(千葉県と茨城県の一部)の城主平忠常が謀反を起こし、またたく間に近隣諸国を切り従え、ついにその威を関八州にふるい、大群をもって武蔵の国(埼玉県と東京都・神奈川県の一部)川越まで押し寄せてきました。 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 草加神社 日光街道・奥州街道の宿場町「草加」に鎮座する草加神社当社は安土桃山時代の天正年間頃(1573年~1585年)に、武蔵國三之宮なる大宮氷川神社の御霊を分け戴きて小祀を祭りしに起縁します。 2024.11.14 埼玉県関東地方
関東地方 所澤神明社 所澤神明社は所沢市の産土(うぶすな)の神であり「所澤総鎮守」でもあります。主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。境内には摂社も多数あり、樹木が生い茂り、ことに御神木の樫は数々の伝説を秘めた老木です。 また、西大門の参道には二丈余りの老けやきが立ち並び、古社ならではの神威を一層深めております。 2024.11.14 埼玉県関東地方