関東地方

関東地方

山田八幡神社

当社は、往昔旧山田庄府川郷等十ヶ村(志垂・宿粒・石田・石田本郷・谷中・網代・菅間・向小久保・高畑・角泉)の総鎮守であったが、江戸中期以降、各地で社殿が創立されたため、志垂・府川二村の鎮守となる。口伝によれば、当社は、日本武尊が東国平定の時に剣を祀ったのが始まりと伝え、昔境内より出土した鉄剣を社宝としている。
関東地方

長宮氷川神社

長宮氷川神社縁起書(門外不出)によれば、当社の創立は第六十六代一条天皇の御代・長徳元年(995年)出雲の国、簸ノ河上、杵築大社(現、出雲大社)よりこの地に遷し奉ると云います。当神社の台門の道程(参道)が四町十六間(約465m)の長きに及んだので、一名「長宮さま」と呼ばれ、参道両側には人家が密集して門前町が形成され「長宮千軒町」と称し、大いに繁盛したと伝えられます。
関東地方

我野神社

日本武尊が御東征の折、当地にて祖神(天之御中主神)を祀られ、御諸別王が建御名方神、日本武尊を祀られ、「みやしろ大明神」と号し、後に「妙見宮」と唱え、源頼朝公を始め徳川幕府の尊崇あり。絵馬多数奉納あり。一間社流造檜皮葺の御本殿は彫刻が典雅。
関東地方

秩父御嶽神社

秩父御嶽神社は、当地の御嶽行者、鴨下清八が創建しました。清八は十六歳のとき、母が重い病にかかり、薬、医術も効が無く、神の力に頼るほかなしと御嶽信仰に入信し、修業重ねました。その甲斐あって母の病は日毎に平癒を見ました。清八は神の力を深く信じ、明治二十八年十一月、当地へ木曾の御嶽山より御嶽大神を勧請し、万人にこの神のご神徳をと秩父御嶽神社を祭祀しました。
関東地方

萩日吉神社

当社は、欽明天皇6年(537)11月、蘇我稲目によって創建されたと伝えられ萩明神とよばれていた。その後、平安時代初期に天台宗関東別院となった慈光寺一山鎮護のため、近江国(現滋賀県)の坂本から日吉大神を勧請合祀し、萩日吉山王宮に改称したといわれている。また、明治元年(1868)11月、神仏分離令の布告により、再び萩日吉神社と名称を改め、現在に至っている。
関東地方

秩父今宮神社

秩父今宮神社は日本有数の古社である。信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれるが、有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である「伊邪那岐・伊邪那美」(イザナギ・イザナミ)の二神が祀られるようになった。
関東地方

春日部八幡神社

今から約八百年前、源頼朝が鎌倉に幕府を置いていた頃、柏壁の浜川戸に春日部重実という人がおり、大袋、大沢、桜井、新方、増林あたりを領地としていました。この重実の子に実景、そしてこの実景の孫に重行(春日部治部少輔時賢)という人がいました。彼は長い間、相州(現在の神奈川県)にある鶴岡八幡宮を敬信していて、しばしばの合戦にもその霊護を蒙ったので、遥拝(はるかに礼拝すること)のため鎌倉時代元弘年間(一三三○年代)に鶴岡八幡宮を模してこの八幡神社を造営したと伝えられており、森の一部は彼の館跡と言われています。
関東地方

幸宮神社

幸宮神社 さちのみやじんじゃ住所〒340-0115埼玉県幸手市中4-11-30電話番号0480-43-3151FAXHP由緒・由来詳細MAP
関東地方

中氷川神社

当社は崇神天皇の朝に創祀せられ、武蔵國造 (長官) の崇敬厚く平安時代に朝廷が編纂した延喜式(国の法律書)神名帳に記載された、祈年國幣社(当時の官社) であった。中古は、入間・多摩二郡にまたがる九十二ヶ村の総鎮守として、また山口城主にも尊崇され、徳川幕府より社領四石三斗を賜りました。
関東地方

水宮神社

当神社は室町時代の創建で摩訶山般若院と言って神仏習合の修験寺で、加持祈祷や寺子屋を営んでいた。明治元年の神仏分離令により般若院の仏像・仏具類は志木の中道不動尊に移され、般若院はその後『水宮神殿→水宮神社』と改称し今日に至っている。
タイトルとURLをコピーしました