関東地方

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鎌数伊勢大神宮

鎌数伊勢大神宮(かまかずいせだいじんぐう)は、寛文11年(1671年)に干潟八万石総鎮守として創建された神明社です。江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)に、辻内刑部左衛門と白井次郎右衛門らによって太田ノ胡水とも呼ばれた広大な湖である椿海の干拓が始められました。
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葛飾八幡宮

葛飾八幡宮のご創建は平安朝の昔、寛平年間(西暦889年〜898年)で実に千百年以上も遡ります。宇多天皇の勅願により京都の石清水八幡宮より勧請し、下総の国総鎮守八幡宮としてご鎮座したのが始まりです。以来歴代朝廷の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰も深く、当宮は下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。なかでも平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復、徳川家康の御朱印地社領52石の寄進等その尊信は篤いものでありました。
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麻賀多神社

今から千七百年余前、印旛国造(当時の大和朝廷の地方長官)であった伊都許利命(イツコリノミコト)が、現在の地に麻賀多神社大神として崇め、以降近隣の麻賀多十八社の本宮として、また地元の鎮守様として広く皆様から崇敬されてまいりました。
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鶴谷八幡宮

鶴谷八幡宮は館山市八幡にある神社で、安房国総社です。南房総市府中にあったものを、鎌倉時代に現在の地に移したと言われています。房総地方でにぎわうお祭り「安房国司祭・やわたんまち」が毎年9月に行われており、このお祭りは千葉県の指定無形民俗文化財に選ばれました。
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遠見岬神社

当社は、房総半島に技術と文化をもたらした天冨命をお祀りする古社です。その御由緒ははるか昔、初代天皇・神武天皇の御代のお話しまで遡ります。四国から房総へと渡られた天冨命は関東全域の発展に寄与されました。そして技術の伝承ののちに当地に住まわれたと伝えられます。
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姉崎神社

景行天皇40年(110)日本武尊(やまとたけるのみこと)御東征の時、走水(はしりみず)の海(浦賀水道)で嵐に遭い、お妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)の犠牲によって無事上総の地に着かれた。この宮山台において、お妃を偲び、かつ舟軍の航行安全を祈願し、風神志那斗弁命(しなとべのみこと)を祀ったのが創始と伝えられる。
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千葉神社

平安時代末期、関東南部を広く統治した平良文(たいらのよしぶみ)は、戦のたびごとに妙見様に祈願してその御加護をいただき、常に大勝利を収めておりました。この良文公を祖とする千葉氏は、一族郎党の守護神として妙見様を各地にお祀りし、代々熱烈な信仰を捧げてまいりました。
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櫻木神社

櫻木神社は、社記によれば平安朝の仁寿元年に大化の改新で活躍した、大職冠藤原鎌足公五代の後胤で、冬嗣公三男の嗣良公(諸説あり)がこの地に居を移した時、この処に桜の美しい大木があり、公がこれの木のもとに倉稲魂命を祀り、その後武甕槌命の神を祀ったのが始まりであると伝えています。
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松戸神社

当社のご社殿は、寛永3年(1626)年の創建とされ、神仏習合思想の影響で、かつては御嶽大権現と称しました。郷土の伝承には、水戸中納言光圀公の逸話が残っています。光圀公が鷹狩でこの地を訪れた際に、当社の大銀杏に止まった白鳥へ鷹を放とうとしましたが、鷹は微動だにしない。憤慨した光圀公は、弓で射ようとするも、弓手は動かなくなり弓も中心から折れてしまった。愕然とした光圀公は、折れた弓矢を奉納し、御神前に鎮謝して帰ったと伝っています。
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縁結び大社(愛染神社)

縁結び大社は、良縁成就、恋愛成就、結婚成就のあらゆる えんむすびの為に千葉厄除け不動尊の境内に建立されました。一対の桐のご神木(ごしんぼく)は、運命のもとに結ばれし二人を結ぶ神聖なる木として深く根をおろしています。
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