関東地方

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小御門神社

小御門神社の御祭神である藤原師賢公は、内大臣花山院師信の子として生まれ、後醍醐天皇の側近として仕え、大納言となられたは公は、後醍醐天皇が幕府の軍に攻められた時、自ら帝の為に身代わりになられる事を申し出、比叡山にて鎌倉幕府の軍と戦いました。
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意富比神社(船橋大神宮)

景行天皇40年、皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国御平定の折、当地にて平定成就と旱天に苦しんでいた住民のために天照皇大御神を祀り祈願された処、御神徳の顕現がありました。これが当宮の創始であります。
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二宮神社

室町時代、馬加(千葉市幕張)の城主であった陸奥守康胤<むつのかみやすたね>(千葉康胤)の奥方は懐妊して11ヶ月になっても出産の気配がありませんでした。そこでいたく心配した康胤は二宮神社(三山村)・子安神社(畑村)・子守神社(馬加村)・三代王神社(武石村)の神主に命じて、馬加村の磯辺に地を相会して安産祈願の祭礼である産屋の古式を執行しました。これを【磯出祭】といいます。
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埴生神社

創建の年代は不詳ですが、以前この地方は埴生郡(はぶごおり)と言われており、今から約1500年前にこの地方に集落を構え、土師器(はじき)を作って生活を営んでいた土師部(はじべ)一族が自分達の祖神、氏神と「埴山姫之命」を祀り古代祭祀を執り行ったのがはじまりとされています。神社の建っている場所も成田の町の中では自然的に一番高い所に位置し、古墳の跡に社殿が建立されております。
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白子神社

白子神社は、平安時代の永承3年(1048年)現在の白子町八斗に大国主命を祀ったのが始まりとされています。その後の大治元年8月13日(1126年)里人が沖から、白い亀の上に白蛇がとぐろを巻いて乗ってくるのを見つけました。“もし神さまならどうぞこの潮を汲む柄杓(ひしゃく)にお乗りください”と申し上げると白蛇はゆっくりと登り始めたと言います。里人は霊感を感じ、この白蛇を祀ったそうです。
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猿田神社

平安時代(807年)に創建され、その後兵火で焼かれたのち、1574年に再建されました。猿田彦大神・天鈿目命・菊理媛命が祭られ、三間社流造りの本殿は県指定の文化財に指定されています。
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白幡天神社

白幡天神社は市川菅野の郷の最も地形の高いところに、氏神様として静かに御鎮座されております。当神社の境内はおよそ2,000坪、緑の木々が生い茂り、梅、桜、椿、ツツジ、サツキ、ユリ、萩、彼岸花、サザンカと四季折々に花々が咲き、繁雑な生活に忙殺される現代人が安らぎのひとときを過ごすことのできる空間を都会の中に残しております。
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千葉県護國神社

明治天皇の深い思召を以て、明治11年1月27日、初代県令柴原和が発起となり、一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の熟を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるため、千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのに始まり、爾来社地変更・ご社号改称等の変遷を経て、昭和42年9月30日亥鼻山から千葉市中央区弁天に遷座、令和4年2月25日現地内地にご遷座申し上げ、現在に至っております。
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菅原大神

春(二月二十五日)と秋(十一月二十五日)の祭礼の日には多くの人が菅原大神に子産石を抱きに訪れます。菅原大神は菅原道真公をお祀りしている神社です。学業成就などをお願いする神社ですが今では子宝神社として有名になっています。 菅原大神の拝殿には約九十個の丸石が納められています。この丸石が子産石(こうみいし)と呼ばれています。 子産石は元々、菅原大神から徒歩で十分程度のところにある御産宮(ごさんみや)に納められていました。
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高家神社

「日本書紀」の第12代景行天皇53年冬10月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されていますが、延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」にさらに詳細に記述されています。
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