関東地方

関東地方

矢先稲荷神社

創健、寛永十九年(1642年)、三代将軍家光三十九歳の時。 武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものを浅草の今の地に建てる。「矢先」の由来は、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社で「矢先」と呼ばれた。
関東地方

深川神明宮

今からおよそ四百年の昔、現在の深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もまだいませんでした。その頃、深川八郎右衛門(摂津の人と伝えられる)が一族を引き連れてこの地に移り住み、土地の開拓に着手しました。八郎右衛門は神さまを敬う心が篤く、屋敷のうちに小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の大神さまのご分霊をお祀りし、開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念しました。
関東地方

下高井戸八幡神社

杉並の閑静な住宅街に鎮座する当社は、杉並区下高井戸1~5丁目、1~4丁目を氏子区域とし、創建550年余りこの地の氏神様として崇敬を集めております。社伝では長禄元年の創建、太田道灌が江戸城築城した際、家臣柏木左衛門に命じて鎌倉にある鶴岡八幡宮の神霊を勧請し建立し、弘化4年(1847年)に再建しました。このことは総欅造りの本殿にある棟札に明記されております。
関東地方

千住神社

創立 当神社は、千住(千寿)に集落が形成され始めた、延長四年(九二六年)丙戌年、土地鎮護と五穀豊饒を祈って、伏見稲荷より分霊を勧請し、稲荷神社を創立した。
関東地方

千住本氷川神社

天照大神の弟神で八頭蛇退治で知られているように智・仁・勇の御徳を具えられた神である。(徳治2年1307)に下総国千葉氏が、牛田に千葉山西光院と共に氷川社として創建されたと伝えられている。
関東地方

藏前神社

当社は、徳川第5代将軍綱吉公が元禄6年(1693)8月5日、山城國(ヤマシロノクニ=京都)男山(オトコヤマ)の石清水八幡宮(イワシミズハチマングウ)を当地に勧請(カンジョウ)したのが始まりです。
関東地方

新田神社

清和天皇より六代の八幡太郎義家の嫡孫源義重は上野国新田荘を領し、新田氏を称しました。新田義興公はその七世の裔(えい)新田義貞(よしさだ)公の第二子で、幼名を徳寿丸と申し、元服の折には後醍醐天皇より「義貞の家を興すべき人なり」として義興という名を賜り、従五位左兵衛佐に任ぜられました。
関東地方

柳森神社

室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社である。 また、おたぬき様と呼ばれる親子狸のお守は、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があると信奉されている。
関東地方

堀切天祖神社

永萬元年(1165年)、伊勢皇大神宮の神領地として寄進された葛西御厨の堀切村鎮守として伊勢皇大神宮の御分霊を勧請して創建されました。境内社の八幡社は宝徳元年(1449年)に当時の地頭千葉氏の家臣であった窪寺蔵内頭胤夫が武運祈願のため現在の堀切小学校敷地に勧請したものと伝えられ、明治以降境内に遷座されました。その他境内には、天神社、豊受稲荷、出雲社が祀られています。​
関東地方

子安神社

子安神社は天平宝字三年(759年)に橘右京少輔という者が時の天皇のお后さまの安産祈願のために創建したと伝えられています。ご祭神は「木花開耶姫命」であり、神話において、自ら火を放った産屋で無事に出産した神様として知られています。それ故、今日まで子安神社は安産の神社として崇敬を集めています。
タイトルとURLをコピーしました