関東地方

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中目黒八幡神社

創建年代不詳。新編武蔵風土記に「中目黒鎮守八幡宮」とある。古老によると名主達が輪番で御神体をご奉祭したと言われている。境内樹木などより江戸初期には創建されていたであろうと思われる。
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瀬田玉川神社

明治18年に役所に提出した旧社名「御嶽神社」の書類には、その由緒として、「戦国時代の永禄年中(1558~70)に、この村の下屋敷に勧請し、その後、寛永3年(1626)、瀧ヶ谷に長崎四郎右衛門嘉国が寄付をして遷宮した」とあります。
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久富稲荷神社

「お稲荷さん」と親しまれている稲荷大神は日本人に最も身近な神さまで、殖産興業、開運招福、火防(ひぶせ)の守護神として、広大無辺のご神徳を慕って多くの人々に崇敬されています。「イナリ」の語源については諸説があり、「イナリ」は「イネナリ(稲成、稲生り)」で、稲が育つさまを表しているとも、「イネカリ(稲刈)」の「刈」が「荷」に誤られたとも、また「イナニ(稲荷)」が「イナリ」に転訛したとも言われています。
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居木神社

ご創建の年代は明らかではありませんが、古い記録によりますと、往古鎮座の地は武蔵國荏原郡居木橋村(現在の山手通り居木橋付近)に位置していたようです。当時は「雉子ノ宮」と称され、境内には「ゆるぎの松」と呼ばれた大木があったと伝えられています。
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高円寺氷川神社

江戸名所絵図によれば、その昔、源頼朝による奥州征伐時に、武藏国杉並の地に至り給り際、隋兵の中に高円寺村にとどまり、終に農民となる者あり。一説によれば、村田兵部稟云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)、その時、武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く採松杉繁多し遠く木田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。従って農業の神とされている。
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荻窪八幡神社

当八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(約千百年前)に創祀されたものと伝えれ、第70代後冷泉天皇の永承6年に、鎮守府将軍・源頼義が奥州東征の途次此処に宿陣し、戦捷を祈願、後、康平5年凱旋するにあたって社を修め、盛大な祭を行い、武将を駐めて永く祀らせたという。
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井草八幡宮

井草八幡宮は、南に善福寺川の清流を望み、今なお「武蔵野」の面影残る秀麗の地に鎮座し古地名を冠して遅野井八幡宮とも称せられました。善福寺川の源泉である善福寺池が豊富な湧水であったことから、この付近にはかなり古くから人々が生活していたと考えられ、境内地及びその周辺地域からも縄文時代の住居跡や土器等が発見されています。
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沼袋氷川神社

中野沼袋氷川神社の御祭神は、八岐大蛇(やまたのおろち)退治の神話に出てくる主人公の須佐之男命(すさのおのみこと)です。南北朝時代、人皇97代後村上天皇の正平元年(光明天皇の貞和二年)に、武蔵国一の宮である大宮(現在の埼玉県さいたま市)鎮座氷川神社より御分霊を戴いて、当地に奉祀したのに始まると伝えられています。
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天祖神社

当神社は、南北朝時代の至徳元年(西暦1384年)から続くお社です。品川沖から毎夜、竜が御灯明を献じたという故事から「竜灯」と呼び、「竜灯」がなまって、この地を「竜土(りゅうど)」と呼ぶようになり、神社の名前も「龍土神明宮」と称えられました。
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元神明宮

当社は、社伝によると平安時代の寛弘二年(西暦一〇〇五年)一條天皇の勅命により創建されました。渡辺綱(註)の産土神でもあり、多くの武人に崇敬を受けました。江戸に入府した徳川家の命により神宝・御神体が飯倉神明(現在の芝大神宮)に移される際、氏子・崇敬者の熱意により境内に御神体だけは渡せないと隠し留め、昼夜警護して守ったと伝えられております。
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