神奈川県

関東地方

若宮八幡宮

源頼朝が鎌倉に幕府を開くに及び、久良岐郡の今の横浜の地は、鎌倉の鬼門にあたるので、鎮護のため頼朝は、数ヶ所に社寺を創建し報賽所としました。若宮八幡宮はこうした由縁の地に、建久4年9月7日、鶴ヶ岡八幡宮の境内社なる若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられております。
関東地方

白笹稲荷神社

創建の年代については詳らかでありませんが、この地先住の古代水田農耕民族は、その水田耕作に不可欠の水源に、また人間の生存の礎となる衣食住の源としての「水源(みなもと)」に、清らかに神奈備を覚出しました。 「宇迦之御霊」と仰ぐ稲魂・穀霊を祀り、「保食神」、「生産の神」として信仰し、現・白笹稲荷神社の前身としての白篠稲荷の小祠を祭祀してきました。
関東地方

白幡八幡大神

源頼義が奥羽二国の征討将軍として遠征の途についたのが康平元年(1058) 平安時代の中頃でした。当時奥羽二国は全くの未開の地で、殊に兇暴の聞こえが高かった地方へ向かって行くのですから、これ程危険な事は無く、大きな冒険でした。
関東地方

田名八幡宮

田名八幡宮たなはちまんぐう住所〒252-0246相模原市中央区水郷田名1-8-28電話番号042-761-4313FAX042-761-4313HP由緒・由来詳細MAP
関東地方

貴船神社

今からおよそ千二百年ほど昔の夏、真鶴岬の笠島(現在の三ツ石)の沖合に、夜ごと不思議な光が現れ、海面を煌々と照らしていました。ある日「平井の翁」という人が磯辺に出て遥か沖を見渡したところ、光を背にした一隻の楼船が波間に浮かび海岸に近づいてくるので、船内を調べてみると、そこには木像十体余りと、口伝によれば、「この神をお祀りすれば村の発展がある」と記された書状があったとされます。その夜、神は翁の夢に現れ、自らが大国主神である事を告げました。
関東地方

春ノ木神明社

春ノ木神明社は、社伝によると室町時代・元亀元年(1570年)頃、伊勢講の先人が祠を造営し、伊勢神宮より持ち帰った神符を納め祀ったのが始まりとされています。
関東地方

小動神社

文治年中(1185)佐々木盛綱の創建と伝えられる。吾妻鑑によれば、盛綱は寿永3年12月(1184)源範頼の軍に従い平家追討の際、備前の国児島において霊験を得て僅か六騎にて平行盛を追伐し無事鎌倉に凱旋した。盛綱は神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、近江の八王子宮を新たに勧請すべくその地をさがしもとめていたが、ある日江ノ島弁財天に参詣の途次、小動山に登り大いにその風光を賞せられ勧請の地と定められた。
関東地方

白旗神社

白旗神社がいつごろできたのかは定かではありませんが、鎌倉時代より以前から、相模国(神奈川県あたり)にある寒川神社の神様・寒川比古命をお祀りして、同じ名前の寒川神社と呼ばれていました。
関東地方

御霊神社

今より800 年余の昔(平安時代末治承の頃)長江太郎義景(鎌倉権五郎景政三世孫)は三浦氏(大介義明)の有力魔下として衣笠城掘手の要衡長江(現長柄)に館を構えた時、郷の平和と発展を希いその鎮護として祭神を勧請御霊神社を創設したと伝えられる。
関東地方

走水神社

走水神社は、12代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)二柱をお祀りしております。
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