神奈川県

関東地方

大網金刀比羅神社

旧東海道、神奈川宿台の坂に鎮座し、往時は東海道を上り下りする旅人は道中の安泰を祈り、また、すぐ下の袖が浦神奈川港に出入りする船は海上安全を祈願して出港し、街道すじには回船問屋が軒を連ね繁栄を極めていた。
関東地方

鶴見神社

鶴見神社は、往古は杉山大明神と称し境内地約五千坪を有していました。その創建は、推古天皇の御代(約一四〇〇年前)と伝えられています。大正九年に鶴見神社と改称しました。
関東地方

日枝神社

日枝神社ひえじんじゃ住所〒230-0001神奈川県横浜市 鶴見区 矢向4ー16ー2電話番号045-571-4697FAX045-571-4697HP由緒・由来詳細MAP
関東地方

潮田神社

社伝に依れば、正親町天皇の御代、潮田の地を知行した太田道灌の曽孫にして北条氏の寵臣、太田新六郎康資は、東潮田の杉山社、西潮田の御獄社の社殿を各々新たに結構し、北条一族の崇敬の念、殊に厚いものがありました。
関東地方

杉山神社

御祭神は第十二代景行天皇の皇子として生れ終生を国の平和と民の安泰のために尽されました。「蝦夷、熊襲しずめ給いし皇王子のたけきいさおは千代にかゞやく」の歌の如くであります。
関東地方

水天宮平沼神社

水天宮平沼神社は、横浜市の表玄関、横浜駅東口一帯の高島町(現在は一部みなとみらい)、平沼町、西平沼町、緑町(現在は一部みなとみらい)の氏神様として、天保10年、平沼新田を開拓された平沼九兵衛翁が新田の守護神としてお祀りし創建されました。
関東地方

報徳二宮神社

明治27年(1894)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊豆、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建されました。明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神宛を拡張し現在の社地の景観を整えました。平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。
関東地方

金刀比羅神社 大鳥神社

当社は、遠く安政6年(1859)、讃岐国象頭山(四国琴平町)の金毘羅大権現を勧請して創建されました。初めは金毘羅大権現と称せられ、現在の横浜公園の地、港崎遊廓にありましたが、慶応2年10月20日の大火に類焼され、翌3年、吉原町に御遷座し、更に明治5年に再び高島町7丁目の海側に遷座し、現在の御社号に改称せられたのであります。
関東地方

第六天神社

ご祭神は、神仏混淆時代の仏教で信奉する欲界六天の第六、即ち欲界天の最高所に宮殿を構える天魔、他化自在天に由来し、明治維新後政府の神仏分離の布告により、ご神徳に因み国生み神話、天神七代の神々の内、第六代の大神様であります。
関東地方

海南神社

御祭神・藤原資盈公は、天児屋根之命之の苗裔である。九州太宰少弐広嗣の五代の孫に当り、五十六代・清和天皇の御宇、皇位継承争いに関係した伴大納言善男の謀挙に荷担しなかった為、讒訴で追討の罪を蒙って筑紫の配所に航する途中、暴風に遭遇して貞観六年(八六四)十一月一日父子三人、郎党五十三人は当地に着岸した。
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