神奈川県

関東地方

御嶽神社

奈良時代、御嶽信仰は吉野の金峰山を霊場とする山岳信仰に始まり、「金剛蔵王権現」を祭神とする修験道は室町時代に全国に広まった。江戸時代になると修験者の移動が禁じられ各地に定住し加持祈祷や安産祈願等をするようになった。従って当神社も室町時代頃に「蔵王権現」を祭神とする「蔵王宮」といわれる神社が創建されたものと思われる。
関東地方

八幡神社

『新編相模風土記稿』に、「八幡宮 村の鎮守とす、御神体は石。本社の傍に稲荷社、山王社の二柱を祭る。社領一石の御朱印は天正19年11月賜う」とあり。元禄2年9月、社殿を再建し、明治6年7月、村社に列格、昭和4年11月、神饌幣帛供進指定神社に列し、昭和21年8月1日、宗教法人となる。大正3年、大正天皇の御即位の御大典記念事業として本殿以外の社殿悉く規模を改築する。昭和50年、社殿を改築し現在に至る。
関東地方

堀之郷正八幡宮

堀之郷正八幡宮ほりのごうしょうはちまんぐう住所〒259-1304神奈川県秦野市堀山下988電話番号046-247-2011FAX046-247-2011HP由緒・由来詳細MAP
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寒田神社

寒田神社は、平安時代中期の「延喜式神名帳」に記載された延喜式内社の1つで、相模の国では当社を含めて13の神社が記されています。また、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際に立ち寄ったという伝説もあり、境内には「腰掛石」が残っています。
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三嶋神社

三嶋神社はおよそ800年前(治承4年)に源頼朝が、平家打倒の兵を挙げ源氏を再興したことを祝し、静岡県三島市にある、開拓の神で知られる三嶋大社よりご分霊を受け建てられたお社です。古くは源氏のみならず、足利氏や小田原北条氏などの武門武将から「大願のかなうお社」として崇拝を受けてきました。
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八幡神社

八幡神社は、源頼義が陸奥(現在の青森県あたり)の鎮守としておもむく途中に建立しその後、源頼朝が富士の巻狩(まきがり)の途中ここに参拝して社殿の改修を命じ、巻狩の無事を祈願したと伝えられています。新編相模風土記稿によりますと、1657年(明歴3)の棟札には、源頼朝が建立したと書かれています。
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足柄神社

伝説としては、日本武尊御東征の砌、足柄村にしばし御滞在なされ仮宮安在所を設け慰労後、尚明神嶽から足柄山を越えなむとするも樹木草生い繁り遂に進路に御迷いの所、白鹿眼前に現れ、其の後に従い足柄峠に難なく進むことが出来、此処に於て白鹿消え給うと、これ神霊の御導きならむと待僕を同所に3年間滞在させ、神霊を齋祀されたと云はれている。
関東地方

素鵞神社

元和6年12月11日創立、その他は不祥である。明治6年7月30日、村社に列せられ、同44年6月10日、字神戸・無格社熊野神社、字出雲台・無格社熊野神社を合併した。大正12年9月1日、関東大震災により、覆殿拝殿などを全潰したが、同15年11月、拝殿弊殿を改築した。
関東地方

紀伊神社

紀伊神社きいじんじゃ住所〒250-0021神奈川県小田原市早川1183ー1電話番号0465-24-3496FAX0465-24-3496HP由緒・由来詳細MAP
関東地方

白髭神社

小船、中村原、小竹、羽根尾、明沢の惣鎮守であり、祭神は猿田彦命である。文治年間(鎌倉時代初期)に記されたという神社縁起によれば、行基菩薩が東国行脚の際、当地小竹山頂に地蔵堂を建立した。その後、伊勢神宮の神官玉串某なる者が、仏門に入って、広瀬入道実応と名乗り、諸国行脚の砌り、この地蔵堂に寝宿したところ、その夜、白髭の夢を見たという。
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