兵庫県

近畿地方

三田天満神社

三田天満神社は凡そ千数百年以前、三田神祠(じんじ)と号して 大歳大神(おおとしのおおかみ)をお祀りしてまいりました。 三田という地名も和銅六年(713)風土記編纂の折、大歳大神の 御領田(みけだ)の意味で三田と書かれたところから来ていると古書に 記されており、延喜式以前の神社です。
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松帆神社

時は南北朝時代、延元元年(1336年)5月、楠木正成公が湊川の戦いにて獅子奮迅の働きむなしく足利勢の大軍に包囲され、弟・正季(まさすえ)公と刺し違え自刃されるより前、家臣吉川弥六に日頃守護神として崇め身に着けておられた八幡大神の神璽(みしるし・文殊のようなものと伝わる)を託され、戦場より逃れ安住の地にて奉祀するよう命じられた。
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庭田神社

古伝(播磨風土記)に大名持大神(大国主大神)が国土経営の大業をなされ伊和の地で最後の交渉を終えられた時、其の大挙に係はれる諸神を招集へて酒を醸し山河の清庭の地(当社所在地)を選びて慰労のため饗宴をなし給えりし霊跡なるにより、社殿を造り奉りて其の御魂を鎮祭れりと云う。
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綱敷天満宮

学問の神様、菅原道真公を祀る須磨の天神様道真公は九州太宰府に左遷された際、須磨の浦で波が高くなり航海を中断されました。その時、漁師達が網の大綱で円座を作り、お休みになられた事にちなんで創建されたのが綱敷天満宮です。
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賀集八幡神社

貞観2年(860)、御神託を受け奈良大安寺の僧行教が石清水八幡宮の御分霊を奉じて淡路に来島、建立した。石清水八幡宮の社殿を模し、壮麗輪奐の美を整えた。往昔隆盛を極める。(伽藍古図は護国寺にて保存) 
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柏原八幡宮

社伝によると、舒明天皇の御代(629~641)に出雲連が入船山(当宮の鎮座する山)に素戔鳴尊(すさのおのみこと)を奉祀したのが当宮の創始と伝えられています。その後、萬寿元年(1024)に入船山周辺の3箇所から霊泉の湧出を奇瑞とし、後一条天皇の勅意により国家鎮護の社として京都の石清水八幡宮より御分霊を勧請し、丹波国「柏原別宮」として創建されました。
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廣峯神社

弥生時代、 崇神天皇が国を治めていた今よりおおよそ二千有余年の大昔に、素戔鳴尊と五十猛尊を白幣山に祀ったのが当社のはじまりです。社伝では神宮皇后が三韓征伐に出兵する途中この地に寄られ白山に登り、素戔嗚尊に皇軍の勝利を祈ったとあります。
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稲爪神社

推古天皇の御代、三韓我国を傾けんとして鉄人を大将として八千余人来攻したる際、伊予国小千益躬、之を迎え討てとの勅命を受け、氏神愛媛県大三島大山祇神社に祈願し、播州明石にて迎え討つ。
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柳原蛭子神社

福の神として、古くから崇敬されている蛭子神社(神戸柳原のえべっさん)は、人口150万人の神戸市の中で、歴史と伝統のある兵庫の地に、えびすの杜として鎮座しています。その御鎮座の年代は詳らかではありませんが、社記によりますと、往古、蛭子命天磐櫞船に乗りて淡海島より津国に遷座し、一社が創建されました。
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松原八幡神社

天平宝字7年(763)葵卯4月11日九州豊前国宇佐より白雲が東にたなびき、松原沖の海底に毎夜ひかり輝くものがあった。国司が妻鹿の漁人、倶釣(久津理)に命じて網を入れさせたところ「宇佐第二垂跡八幡大菩薩」の文字のある紫檀の霊木があがったので、妻鹿川の下流の大岩の上に安置してお祀りした。
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