
北海道護國神社
本神社は遠く明治35年5月5日時恰も日露の風雲急なる最中に旧第七師団長大迫尚敏氏主祭の下に練兵場に小祠を設け北海道に於ける国事殉難者並開拓に殉じた屯田兵の招魂祭典を挙行したのに始まる。日露戦争勃発するや我が北鎮師団は旅順の功撃奉天の大会戦に参加し、勇名を謳はれたが、その戦歿者は無慮4,500名に及び戌辰、西南、日清の諸役の戦歿英霊に加えて五千柱に垂んとするに至ったのでここに社殿創建の議が興り、明治43年時の第七師団長上原勇作並北海道長官河島醇両氏の発起の下に道内有志の賛助を得て、現在地に社殿を建築し之等英霊を祀り爾来毎年6月5、6日を例祭と定め、師団長、長官交互に祭主となり軍官民挙げて盛大な祭典を執行し来った。