北海道・東北地方

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薬萊神社

当社は天平九年(西暦七三七年)鎮守府将軍大野東人が軍事輸送の為に色麻柵より出羽国に至る通称「玉野道路」を開いた時、悪疫が流行し多くの兵士や人夫が斃れたので、将軍は薬莱山上に医薬の守護神『大己貴神』『少彦名神』を祀って病気の鎮伏と工事の完成を祈願し無事工事を終えたと伝えられ、これが当社創建の事となっております。
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金華山黄金山神社

今から凡そ1270年前、聖武天皇の御世 天平21年(西暦749年)に、陸奥の国守百済王敬福が朝廷に黄金を献上しました。大仏建立に黄金を必要としていた天皇は大いに喜ばれ、年号を天平勝宝と改められました。
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鹿嶋臺神社

鹿島台の前身である鹿島台村は、明治22年に木間塚、船越、平渡、広長、深谷、大迫の六ケ村が合併して誕生しました。
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釣石神社

当追波地区は元来「舘ヶ崎」と称されていました。その奥地の国有林鷹ノ巣山のうち産土沢と称する山上に祀られていましたが、里人の便宜よく北上川沿いへの移動により、元和4年(1618年)現在地に遷宮したと伝えられています。明治初期、崖の中腹から突き出た周囲14メートルもの巨石があったことから、「釣山」から現在の「釣石」へ改められました。
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二柱神社

昔から神様を一人二人と云わず一柱二柱といいました。当社はイザナギノミコト・イザナミノミコトの2人の神様をお祀りしている為、二柱神社と申します。
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早馬神社

今から約800年前の建保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当であった梶原専光坊僧正景実【(かげざね〉、鎌倉武将 梶原平三景時公の兄)】は、正治元年(1199年)の源頼朝公の死亡、これを追うかのような梶原景時公一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住んだ。【梶原専光坊僧正景実は箱根別当行実の弟子、『吾妻鏡』では専光房良暹(せんこうぼう りょうせん)】
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愛宕神社

当神社は古く羽州米澤に御鎮座になられ、天正19年(1591) 藩祖伊達氏十七世政宗公が、米澤より陸奥國玉造郡岩出山に移るに際して、社も岩出山 に御遷座、 慶長5年(1600) 千代城を青葉山に築城、 名を仙臺(台)と改められ、慶長8年(1603)政宗公入府に合わせ社も一時国分荒牧村(現元寺小路)に仮遷座を行い、同年仙台城や城下を一望できるこの愛宕山(以前天狗山とも称す)に御社殿を御造営になられ、御遷座申し上げ、誓願寺を別当寺とし、合わせて5貫720文を寄進されております。
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櫻岡大神宮

仙台藩祖伊達政宗公、元和七年(1621年)に伊勢神宮よりご分霊を勧請し、宮城郡荒巻に祀り神明宮と称し伊勢堂山と号した。伊達綱村公、天和二年(1683年)に伊勢堂山の規模を拡張及び社殿を改築し、社領二十貫文の地を加美郡四竈村に於いて寄進され更に祭祀料玄米五石、小豆一石一斗を寄せ、惣頭一名、足軽四十人、人夫十人を派して祭典を執行し、神事を衛守せしめ、殊に奉行職をもって代拝とし広く人々に参拝せしめ、累代の藩主継嗣の折りに参拝することを例とし、大小の造営は悉く公費をもって修築なされるなど 伊達家累代崇敬の社であった。
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津島神社

天正19年(1591)豊臣秀吉の日本統一に最後の抵抗をした葛西大崎両氏は市民連合して大一揆を起こし佐沼城に篭城しました。秀吉の命で伊達政宗はこれを包囲したものの沼川深田である佐沼水域の難攻不落に万策尽き、津島神社(北方鎮座、現在は津島本宮社と改称)に祈願したところ、忽然と白鷺の群れが飛来し、沼の浅瀬に降り立ちました。
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青葉神社

青葉神社は、仙台藩初代藩主である伊達政宗公を祀る、歴史と伝統あふれる神社です。政宗公は、仙台城を中心に栄える城下町を築き、独自の斬新かつ壮大な伊達文化の基礎を築きました。この神社が創建された背景には、1873年に市民が願い出たことがあります。この時期、国内では藩祖を祀る神社を建立する動きが活発でした。
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