北海道・東北地方

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日吉神社

古くより滋賀県大津坂本の日吉大社の別社と称され、御神体はその余材を以て作られたといわれていた。奥州藤原氏の郎党で源頼朝ともゆかりある武勇の誉高い、由利忠八郎維平の崇敬篤き、神鏡朱佛丸の奉納、社領七千刈の寄進があったと言われる。その後、赤尾津氏、最上氏の領有する所となり、元和8年(1622年)領地引き替えにより佐竹氏の領地となる。
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三皇熊野神社

<本宮>創立年月日不詳なれど再建は桓武天皇の延暦年間征夷大将軍坂上田村麻呂が竹原三皇の神に祈誓して高清水丘に向って矢を放ったと言われており、賊を討った報賽として社殿を再建したという。境内には田村将軍の杖に根がついたという大木があり、戦前まで、地上8尺位の所から、こんこんと水が流れ、霊水の大木と言われた。
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真山神社

古事記・日本書紀に記される12代、景行天皇の御世に、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山(現在の真山・本山)に登ったそうです。そのときに、武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、この地に瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりだと言われています。
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土崎神明社

神明社は、元和6年(1620年)に土崎の肝煎・川口惣治郎氏の氏神としてられていた神明様を湊城の跡地(現在地)に遷座し、藩主佐竹義宣の許可を得て土崎港の町の総鎮守としたことがはじまりとされ、中世の城下町であった土崎が、新しい城下町の建設により変わる中で、新たなる土崎港町の発展を願い創建された神社です。
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彌高神社

明治14年秋田市八橋に平田篤胤大人命を祀る平田神社が創建され、その後秋田県教育会が崇敬母体となり明治42年に秋田市中通4丁目に奉遷し、この時佐藤信淵大人命を合祀、社名を彌高神社と改称する。大正5年現在地に遷座、同8年には県社に列格される。
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秋田県護國神社

明治元年10月、秋田藩主佐竹義堯侯によって高清水丘に工事が起こされ、この時太政官より金壱千両が下付され、明治2年8月28日に創建成り招魂社と称し、戊辰戦役の「みたま」を祀ったことに始まる。
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御座石神社

槎湖中勝地四所(蛭石、湖頭、白沙浜、御座石)の一であって御座石と称し、水面と等しく平坦な岩石で然も畳のような区画がある。
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太平山三吉神社

霊峰太平山に祀る当社は、天武天皇の白鳳2年(673年)5月、役の行者小角の創建と伝えられ、桓武天皇延暦20年(801年)征夷大将軍坂上田村麻呂東夷征討の際、戦勝を祈願して堂宇を建立、奉納された御鏑は神宝として今に伝えられています。
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賀茂神社

本神社は元鹽竈神社に鎮座せられ、只州宮と称し元禄年間該神社造替の節、今の地に遷座され伊達藩の崇敬篤き社であった。元禄8年10月13日伊達綱村公の命により「只州の御社を別所に奉還すべき」とその社家鎌田信濃守に申しわたし11月13日には新しい御遷座の地を選ぶべく、御社くじを占し、現在の古内村を御社地と選定し、先ず下賀茂社の御社を元禄9年2月29日着工、同年9月23日鹽竈より正遷座の儀を行い、「御祖(みおや)神社」として奉斎した。
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御崎神社

本社は、唐桑町の東南方に突出する岬に鎮座あり、気仙沼、大島の東凡そ4粁、遥か南に金華山を眺め、東北には綾里崎(気仙郡)を望む。宮城県の東北限で、その地勢は観跡聞老誌に「崎嶇盤旋而して竜蛇の尾を曳く如く」と記すように誠に尾崎の社号にふさわしく、且つ、社域は海洋に懸かって風光壮絶神気自からせまるを覚え、今、陸中海岸国立公園に指定されているのも故なしとしない。
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