北海道・東北地方

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鳥海山大物忌神社

神社の創祀は欽明天皇二十五年(千四百余年前)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われた。本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ケ所に鎮座する。
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荘内神社

荘内神社が鎮座している所は、「鶴ヶ岡城」というお城の本丸御殿があったところです。御城の跡地になぜ、神社が建てられたのか・・・?その理由は、荘内神社の御祭神を見ると分かります。荘内神社には、庄内藩の歴代藩主の中から4人の方が御祭神として祀られています。そもそもこの神社は、酒井家の歴代藩主を慕う庄内一円の人々の創意により、創建されたものなのです。
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熊野大社

熊野大社は、大同元年( 8 0 6 年)、平城天皇の勅命により再建されたと伝えられています。その後も時の天皇、法皇の恩恵をうけ、のちに天台宗・真言宗・羽黒修験・神道の四派も加わり、熊野修験の霊場としても栄えました。なお、荘厳な拝殿は県内最古の茅葺屋根建築で文化財を指定をうけています。
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山形県護国神社

山形県護国神社は、明治2年に新時代の幕開けとともに創建され、境内地の変更や名称変更を経て、平成6年に現在の姿になりました。創建から約150年、今では初詣に県内各地より多くの参拝者が訪れる、山形を代表する神社となりました。
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谷地八幡宮

当八幡宮は宝永五年(1708)二月、翌六年(1709)三月、慶応二年(1866)四月、この三度の大火により、社殿等悉く焼失致しております。残存します文献また、相伝うところによると「人皇七十二代堀川院の寛治五年(1091)、奥州清原氏平定を果たした源義家が神恩に感謝して白鳥村(現村山市白鳥)に石清水八幡(いわしみずはちまん)を勧請(かんじょう)して祈願所にした」と、伝えております。
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上杉神社

天正6年(1578)、3月13日、戦国の名将上杉謙信公は越後の春日山城にて49歳で急逝した。その遺骸は城中不識庵に仏式を以て鎮祭された。景勝公が会津を経て米沢に移封されるに当たり、御堂を米沢城内に移して仏祭を厳修した。明治の世を迎え御堂のまま神祭に改め、米沢藩中興の名君鷹山公を合祀して上杉神社と称し県社に列し、1876年(明治9)には新たに神殿が成り、遷座祭を行った。1902年(明治35)、往時の勤皇の功により別格官幣社に列せられた。
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神明社

神明社創建の時期については諸説があるが、安土桃山時代、この地を統治していた出羽角館城主戸澤氏の篤い祟敬をうけて古城山の一角に鎮座したとの説が有力である。
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保呂羽山波宇志別神社

社記によると天平宝字元年8月15日創建。延喜式内社、出羽国九座の一.旧社格県社。明治39年9月28日神饌幣帛料供進神社に指定される。大友右衛太郎吉親が大和の金峯山より安閑天皇の御分霊を戴き御祭神とする。この神社は昭和32年8月15日に鎮座1200年祭を執り行っている。
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伊豆山神社

延暦年間(西暦782〜806年)、坂上田村麻呂による「東夷征討」の折、伊豆山に立寄り四神相応奇特の霊場と夷賊平定を祈願。その後夷賊平定の報賽として社殿を造営し積羽八重言代主神を祀り不老山神社と称し大同二年(西暦807年)6月15日鎮座祭が執行されました。
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綴子神社

社伝によれば、第37代斉明天皇5年(659)朝廷の命令を受けた阿倍比羅夫将軍が蝦夷えぞ(東北地方)を治めるため肉入籠ししりこに至り、戦勝祈願と北秋田地方の鎮護として九州豊前國(大分県)宇佐神宮うさじんぐうより八幡大神を勧請かんじょうし、地主神と併せ祀ったのが創建とされ、鎮座地の綴子つづれこの地名は日本書紀に記される肉入籠ししりこが訛って綴子になったと伝えられます。古くから宇佐八幡宮・八幡宮と呼ばれ、境内のご神木「千年桂せんねんかつら」はご神体として永く祀られ、特に子授け・安産 ・子育て・縁結びの深いご加護がございます。
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