北海道・東北地方

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徳山大神宮

創立年代不詳であるが、往古秋田・津軽の漁民が年々春夏の季節に当地に渡海して漁業を営み、秋季に帰国したが、漁民等はアイヌによる危難を免れようと伊勢神宮に参詣して大麻を拝受し小社に奉斎して伊勢堂と称して崇敬した。
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網走神社

当神社祭神は宗像三神と称する元旧官幣大社宗像大社、旧官幣中社巌島神社と同一祭神にして多く海岸に鎮座し福寿円満、海上守護に神徳を垂れ給う。当神社は文化9年(1812年)近江の人藤野四郎兵衛が網走川口に小堂宇を建て漁場鎮護の為に奉斎せるを以て創祀とする。
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北海道護國神社

本神社は遠く明治35年5月5日時恰も日露の風雲急なる最中に旧第七師団長大迫尚敏氏主祭の下に練兵場に小祠を設け北海道に於ける国事殉難者並開拓に殉じた屯田兵の招魂祭典を挙行したのに始まる。日露戦争勃発するや我が北鎮師団は旅順の功撃奉天の大会戦に参加し、勇名を謳はれたが、その戦歿者は無慮4,500名に及び戌辰、西南、日清の諸役の戦歿英霊に加えて五千柱に垂んとするに至ったのでここに社殿創建の議が興り、明治43年時の第七師団長上原勇作並北海道長官河島醇両氏の発起の下に道内有志の賛助を得て、現在地に社殿を建築し之等英霊を祀り爾来毎年6月5、6日を例祭と定め、師団長、長官交互に祭主となり軍官民挙げて盛大な祭典を執行し来った。
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岩見沢神社

士族帰農者による北海道開拓の国策に依り、明治17、8年の両年にわたり、山口・鳥取等12県下277世帯の人々が開拓に入地、18年秋8月総入地を機会に今の元町幾春別川左岸(狩野橋上流)に多数の村民が参加して大いに神祭を行ったのが当社の初めである。翌19年小祠を建て心の拠り所和楽の柱と氏神祭を最大の年中行事として、人心の安定融和の下に着々と開拓の歩みを進め、今日隆盛の基礎をつくった。
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姥神大神宮

創立年代不詳。社伝によると、江差の津花に天変地異を予知し住民に知らせ、神のように敬われていた折居(おりゐ)という老婆が草庵を結び住んでおり、ある日鴎島の巌上に現れた翁から小瓶を授かり、その中の水を海に注ぐと鰊が群来するとの啓示を受け、水を海に注いだところ鰊が群来した。
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札幌八幡宮

札幌八幡宮は昭和52年6月、先代菊池重武大教正長老によって建立されました。菊池家は代々神職の家系で、その歴史は初代菊池伊知女から350年余りにわたります。菊池伊知女は函館八幡宮に奉職、その後宮司となり、11代菊池出雲守重賢の代まで続きました。
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釧路厳島神社

当神社は釧路が来開草業(らいかいそうぎょう)の頃、漁場請負人(ぎょばうけおいにん)佐野孫右衛門が漁場の安全と大漁祈願の為、安芸の厳島神社の御分霊を勧請奉祀(かんじょうほうし)したのが起源と伝えられています。
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旭川神社

明治25年旭川屯田400戸が入植、村社建設を決議。翌26年、天照大神と共に、木花咲耶姫命を祭神として、境内を風防林に定め本殿を造営し村名をとり旭川神社と称した。同30年拝殿、社務所を建設、同31年庁指定第8号をもって創立を許可された。
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松前神社

松前家にて当初松世祠を設け信廣公始め代々の神霊を奉斎したが、旧藩臣及び庶民は公の蝦夷地開拓の基礎を築かれた功績を追慕し、松前家にのみ委すべきに非ずとして神社創立の議起り、明治12年以来開拓使に出願して同14年2月8日許可せられ、旧福山城北の丸址を境内地に充て社殿を建立し、武田信廣公1柱の神霊を奉斎して松前神社と称した。
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帯廣神社

明治43年例祭日を9月24日と定め、神社創立願を道庁長官に提出、翌明治44年5月無格社に。大正7年郷社に昇格、昭和5年県社に昇格、昭和51年神社本庁別表神社(道内に六社)に加列。
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