北海道・東北地方

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鶴ヶ城稲荷神社

福島県会津若松市、鶴ヶ城内にある『鶴ヶ城稲荷神社』は、約600年前に城がつくられた頃から、守護神として祀られていたと伝えられており、御祭神は宇迦魂命(ウカノミタマノミコト)。食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神であり、日本で最も親しまれている神様の1つ「稲荷大神」を祀っている神社として有名。
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新宮熊野神社

天喜3年(1055)源頼義の勧請とされる古社。拝殿「長床」は平安時代の寝殿造りの流れをくんだ建物で、直径1尺5寸の円柱44本が等間隔に5列並んでおり、全部吹き抜けになっている。併設されている熊野神社宝物殿には銅鉢をはじめ、多くの国、県指定文化財が保存されており、拝観することができる。
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飯野八幡宮

社伝によれば、康平6年(1063)源頼義が奥州合戦(前九年の役)出征の時、京都石清水八幡宮を必勝祈願のため勧請したという。しかし、文治2年(1186)関東御領好嶋荘の総社として、源頼朝の命により本社石清水より御正躰を奉じて、赤目崎見物岡(現いわき駅北の高台)へ祭祀したとの別伝も記録に見られる。建永元年(1247)時の執権北條時頼は、幕府政所執事伊賀光宗(宮司飯野家の祖)を好嶋荘の預所に任命した。以後代々預所職と神主職を兼ね、現宮司飯野光世にいたる。
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鹿嶋神社

宝亀年間(770~780年)光仁天皇の御代この地に祭られ、弘仁2年(811年)坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社で、白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、戦勝を祈願したと言われています。延喜式神名帳(成立927年)にのこる式内社でもあります。その後も歴代城主の尊崇あつく、城主自ら奉幣、参籠し、祭田や社殿の寄進もありました。
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南湖神社

定信公が26歳で藩主になられた当時は天明の大飢饉でしたが、定信公は関西地方に使者を出して、食料を大量に買いこんで人々に施されたため、白河藩からは飢饉による死者を一人も出さなかったといわれています。 また、日本最古の公園である「南湖」を築庭し身分制度の厳しい時代ながら一般庶民にも開放されるなど、様々な立派な施政を行われ名君と称えられております。
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飯坂八幡神社

飯坂町鎮守八幡神社は創建古く年月は不詳であるが、社伝によれば平安時代後期の天喜4年(1056)、後三年の役で奥州に出陣した源義家がこの地にさしかかったとき空に長くたなびく八条の雲を見て、あたかも源氏の白旗が大空に翻るかの様に、義家は守護神の八幡大神が戦勝の験として示されたものと信じ、必勝祈願のために勧請したと伝えられている。
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石都々和気神社

石都々和気神社いわつつこわけじんじゃ住所〒963-7893福島県石川郡石川町下泉269電話番号0247-26-7534FAXHP由緒・由来詳細MAP
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馬場都々古別神社

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上宮”にあたります。かつて「東夷」を鎮定した日本武尊(ヤマトタケル)が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、のちに大同二年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祭ります。
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開成山大神宮

御鎮座地開成山は、「水と緑のきらめく未来都市」として躍進する郡山市の中央に位置し、国道四十九号線を始め四通八達し、深い緑におおわれた神苑が広大な桜の名所開成山公園を前景とし、周囲には郡山市庁舎・総合体育館・郡山市総合教育支援センター・郡山女子大学・開成館・安積疏水土地改良区事務所と記念館がそれぞれ偉容を誇り、行政・文化・教育の中心として、 日に日に発展を続けております。
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相馬中村神社

相馬中村神社の始まりは、社伝によれば今から一千余年前の承平年間(931~937年)相馬家の先祖、平の将門が下総の国猿島郡という所に妙見社を創建して戦勝を祈願、併せて国家安泰、国民諸行の繁栄を祈念したことに始まり、後孫師常公が、下総の相馬郡に社殿を建てたと伝えた後、元亨三年(1323年)になって、師常より六世の孫相馬孫五郎重胤公が、鎌倉から初めて奥州行方郡に移ると同時に妙見祠を大田に移し、正慶元年(1332年)小高に築城して移るとき神社も移されました。
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