関東地方 高鳥天満宮 当神社の御祭神である菅原道真公は幼少より学問に秀でておられ、出世して右大臣という高官にまで任ぜられますが、これをねたむ者の謀略により、昌泰4年(901年)九州大宰府へ左遷されてしまいます。その際、道真公にお仕えしていた岩下勝之丞が随行を申し出ましたが、道真公は行先の困難を思って随行を諦めさせ、御自ら画像を描かれると、これを私だと思えと与えました。岩下は故郷である出羽国に戻りこれを守護しました。 2024.11.14 群馬県関東地方
関東地方 咲前神社 当鎮座地は神代、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って上野国と信濃国の国境の荒船山に御出陣の時の行在地であると伝わる。安閑天皇元年(534)6月、初の申の日に神石「雷斧石」三柱の御出現を仰ぎ、時の朝廷に上奏したところ、奉幣使、磯部朝臣小倉季氏と共に高椅貞長、峯越旧敬を伴い上毛野国に御下向があり、抜鉾(ぬきほこ)大神「健経津主命」をお祀りし、社を建てられた。それ以後、磯部朝臣が祭司を司った。敏達天皇元年(572)、第3代磯部朝臣小倉邦祝は磯部郷小崎の里に居を構え、以降小崎を名乗る。 2024.11.14 群馬県関東地方
関東地方 貴船神社 平安時代の天暦十(九五六)年、東国(関東地方)がひどい干ばつに襲われたとき、山城国(京都)の貴船神社の祭神が、古来より祈雨・止雨祈願の神として信仰されてきた高おかみ大神で、その分霊を奉り降雨と五穀豊穣を祈願したところ、それがかなえられたので、関東平野の最北端、渡良瀬川流域の山地に祭られ、現在地に建立されたのは、江戸時代の寛文8(一六六八)年といわれています。 2024.11.14 群馬県関東地方
関東地方 高崎神社 1243年(寛元元年)、当時の和田城主・和田小太郎正信が、相模国三浦郡の熊野権現(熊野の神)を城内に勧請(分霊を他の神社に移すこと)し、「熊野神社」としたのがはじまりとされています。その後慶長3年(1598年)井伊直政が和田城の跡に高崎城を築城する際、この熊野神社を現在の地に遷座し、高崎総鎮守としました。1907年(明治40年)以降、境内末社12社と高崎市内の36社を合併し「髙﨑神社」と改称されました 2024.11.14 群馬県関東地方
関東地方 桐生天満宮 桐生天満宮の御祭神・菅原道真公は、平安時代の優れた学者・文化人・政治家で、一般に「天神さま」と称されて、広く崇敬されてまいりました。当宮の起源は、第十二代の景行天皇の時代に、上毛野国造が天穂日命を奉斎した磯部明神であり、その後幾多の星霜を経て、文治三 (1187)年から当地を支配した桐生家が代々の守護神として崇敬し、観応年間(1350年頃)には、京都より北野天満宮の御分霊を合祀して「桐生天満宮」と改称し、桐生領五十四ケ村の総鎮守と定められました。 2024.11.14 群馬県関東地方
関東地方 伊勢崎神社 健保元年(1213)9月23日、三浦介義澄によって創建されたと伝えられていますが、創建当時の社地は明らかになっておりません。元徳元年(1329)、当時の国司である新田義貞が現在の地に遷し社殿を修理して八坂神・稲荷神・菅原神の3神を合祀しました。 2024.11.14 群馬県関東地方
関東地方 新田神社 新田義貞公を祀り「初志貫徹」の神様として崇敬されています。関東平野を一望できる眺めの良い場所としても知られています。ハイキングがてらお出かけください。 2024.11.14 群馬県関東地方
関東地方 中之嶽神社 大和時代の第二十九代欽明天皇(在位539-571年)の御代に妙形氏が社殿を建立、平安末期、第八十二代後鳥羽天皇の寿永二年三月(1183年)藤原祐胤卿が鍛冶の名工を得て神剣を奉斉いたしました。 江戸時代に入ると、第百八第後水尾天皇の元和二年丁巳月(1616年)、加藤長清(道士)が登厳し中興の開山主として神器を守り奉斉し、諸大名が崇敬を寄せ、小幡藩主織田筑前守信久侯が社殿を改築、 中之嶽奉行を設け地所を寄進いたしました。 2024.11.12 群馬県関東地方
関東地方 榛名神社 延長5年(927年)に完成したこの記録には、全国の主要な神社名を書きあげた『神名帳』があり、その中に上野国十二社の群馬郡小社とし て榛名神社は位置づけられています。この記録に登載された神社は「式内社」と呼ばれ、格式の高い神社と考えられています。これが榛名神社が歴史書の中で取 り上げられた最初だといわれています。 2024.11.12 群馬県関東地方