中部地方 岐阜護國神社 明治41年7月に、岐阜市郊外(現長森地区)に歩兵第68連隊が大津より移管され、大正6年には飛行連隊の設置を見るに至り、累次の戦役事変に一身を国家に捧げられた英霊に対し、感謝奉賽の誠を奉げるべき護國神社の無きを遺憾として、大正7年当時の第68連隊は岐阜県知事並びに市町村長又在郷軍人その他有志と共に、その実現を目指すも叶いませんでした。 2024.12.21 中部地方岐阜県
中部地方 伊奈波神社 主祭神である五十瓊敷入彦命は、第十一代垂仁天皇と日葉酢姫命の長男であり、第十二代景行天皇の兄にあたります。『古事記』『日本書紀』によると命は父である垂仁天皇から弓矢を賜り武事をおさめ、また勅命により河内、大和、摂津、美濃などの諸国を開拓され、八百もの池溝をひらかれました。 2024.12.21 中部地方岐阜県
中部地方 櫻山八幡宮 仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、官軍を率いて飛騨に入った(日本書紀)。武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。 2024.12.21 中部地方岐阜県
中部地方 御首神社 今から約千年前、平将門は時の朝廷の政策に憤りを覚え乱(天慶の乱)を起こした。しかし藤原秀郷・平貞盛等に鎮められ、将門は捕えられ首を討たれた。その首は京都に送られさらし首となったが、故郷恋しさのあまり獄門を抜け出し関東へ戻ろうと飛び立った。 2024.12.21 中部地方岐阜県
中部地方 飛騨天満宮 901年(延喜元年)正月、藤原時平の讒言にあい、右大臣の道真公は太宰権帥に左遷され、九州太宰府に配流となりました。公の三男菅原兼茂公も飛騨権掾として飛騨高山 花里の地に謫居されました。903年(延喜3年)父の死を聞いて悲嘆のあまり、この地にあった梅の木に自ら父の像を刻み道真公の御霊を迎えて祠を建立されたのです。 2024.12.21 中部地方岐阜県
中部地方 飛騨一宮水無神社 創立鎮座の年代は神代にありと伝わりますが、古伝旧記が散逸して詳しい事は定かではありません。歴史上にあらわれるのは平安初期、貞観9年(867年)に従五位上の神位を授けられた記事にはじまります。元慶5年(881年)には従四位上に昇叙され神位も累進し、中世の鎌倉時代以降には神仏習合が進み、神仏一体の両部神道として社僧を置き本地堂一宇を建てて釈迦像を安置し、水無(みなし)大菩薩を称するようになりました。 2024.12.21 中部地方岐阜県
中部地方 南宮大社 南宮大社は古く神話の時代、伊耶那美命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)をお生みになられた際にお生まれになられた鉄鉱・鉱山を司る金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)を主祭神として、相殿神に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、見野命(みののみこと)をお祀りしております。 2024.12.21 中部地方岐阜県
中部地方 洲原神社 洲原神社は、今より約1300年前、元正天皇の御代養老元年に(西暦717年)、越前国足羽郡麻生津村、神職三神安角の二男泰澄が加賀国白山の絶頂で厳かな修行行うていられた時に霊夢を感じ、其の状を具(つぶ)さに、天皇へ奏上されたので、元正天皇より泰澄に斎鎮の勅命下り、又当社御造営使として、伴安麿に御剣一口と封戸若干、従者二人に甲胃を添えて下し賜う。養老5年5月、実に宏大荘厳な御社殿が御造営の工を竣え、勅を奉じて泰澄が御祭神をお祀(まつ)り申し上げたのであります。 2024.12.21 中部地方岐阜県
中部地方 千代保稲荷神社 千代保稲荷神社の由緒は、約一千年前の平安時代に遡ります。八幡太郎源義家(みなもとのよしいえ)の六男、義隆(よしたか)が分家する際、森の姓を授かり、先祖の霊璽(れいじ)、宝剣(ほうけん)、義家の肖像などを「千代代々に保っていけ」と賜りました。 2024.12.21 中部地方岐阜県