福島県

北海道・東北地方

霊山神社

霊山の麓に北畠一族が祀られている神社です。明治14(1881)年、北畠親房、顕家、顕信、守親(顕信の子)を主祭神として、北畠氏の支城があった地に創建されました。建武の新政に尽力した南朝側の皇族、武将を祀る15の神社(建武中興十五社)のひとつに数えられています。京都の嵐山から移植されたという紅葉の美しさと、春の例大祭に奉納される剣舞「濫觴武楽らんじょうぶがく」や「大石北又獅子舞」で知られています。
北海道・東北地方

八槻都々古別神社

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都都古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“中宮"にあたります。縁起によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が八溝山の「東夷」の大将を討った際、守護として現れた三神が建鉾山より箭(や)を放ち、箭の着いた場所を箭津幾(やつき)とし都々古別神社を創建したのがはじまりといわれています。
北海道・東北地方

福島稲荷神社

福島稻荷神社の由緒は、社伝によれば第66代一条天皇の永延元年(987年)、当時朝廷に重用された陰陽道博士従五位下、安倍晴明が詔を奉じて奥羽下向の際、吹島の里(後に福島と改む)にさしかかり、西には吾妻山が空にそびえ、北には信夫山が平原の中より屹然として突出し、南は阿武隈川の清流洋々として東流し、山水の風致、自然の景勝に目を見張るのみならず、地味肥沃にして農耕に適し、将来大いに有望な地相であるとしてここに社を建て、衣食住を司る豊受比売大神(伊勢神宮の外宮の御祭神)を勧請し、此の里の総鎮守としたことに始まります。
北海道・東北地方

伊佐須美神社

社伝によると、凡そ二千有余年前第10代崇神天皇10年に諸国鎮撫の為に遣わされた大毘古命とその子 建沼河別命が会津にて行き逢い、天津嶽(現・新潟県境の御神楽嶽)において伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、国家鎮護の神として奉斎した事に始まると伝えられます。
タイトルとURLをコピーしました