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須賀神社

須賀神社はもと「大雄山祇園禅寺」と称し、臨済宗東福寺派の承天寺(博多辻堂)の末派寺院であった。その境内にあった牛頭天王を祀る社殿が、甘木一円の信仰に支えられて、古来より盛大な祭礼を行ってきた。
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香椎宮

香椎宮は仲哀天皇九年(200)、神功皇后躬ら祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀給うたのが起源であります。神功皇后の宮は元正天皇の養老七年(723)に皇后御自身の御神託により、朝廷が九州に詔して社殿の造営を創め聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、此の両宮を併せて香椎廟と称しました。明治以来には官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称しております。
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菅原神社

右大臣・菅原道真公は延喜元年(901年)四月廿五日、太宰権師として京都より左遷され、筑紫へ向かう途中、神嶽川のほとり、とある小島(今の「天神島」)に一休み、風光明媚な企救の浦を賞でられた跡と伝え、菅公亡き後、その遺徳を偲び、一祠を建立したのがはじまりです。
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宝満宮竈門神社

古来、「縁結び」、「方除け」、「厄除」の神様として信仰されている竈門神社。主祭神に玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りしていることから、魂(玉)と魂を引き寄せる・引き合わせる(依)という御神徳を慕われ、古くから「縁結びの神」として広く信仰されてきました。
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大中臣神社

昭和45年に県天然記念物に指定された将軍藤と、市の有形文化財に指定された三間一戸(柱が4本で扉が中央に1箇所)、入母屋造、瓦葺の和様唐様の楼門で有名。人が通る部分(中通り)には南に牡丹、北に菊が彫られた虹梁が設けられ、隅柱には動物の透かし彫りも見られます。
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櫛田神社

博多の総鎮守として最古の歴史を有し「お櫛田さん」の愛称で地元から親しまれている「櫛田神社」。古来、不老長寿、商売繁盛の神として篤い信仰を集めています。伊勢松坂の櫛田神社を勧請したと考えられ、豊臣秀吉によって博多が復興される時に現在の社殿が建立されました。
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恋木神社

御祭神 恋命(こいのみこと) 水田天満宮の末社として建立当初(鎌倉時代)より鎮座し、御祭神は「 恋命 」を祀り、全国でも珍しく恋木神社は一社のみです。
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櫛原天満宮

当神社は、後鳥羽天皇の御代、文治5年9月(西暦1189年)御分霊を仰ぎ、当地区の鎮守の神さまとしておまつりされました。天文年間(西暦1532年から1554年)のいくさによる災害で、それまでの444年間の古い記録が残念なことになくなってしまい、正確なことがわかりません。 鎌倉幕府をひらいた源頼朝がご創建したとも伝えられていたようです。
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水天宮

安徳天皇の母である高倉平中宮に使えていた女官、按察使局(あぜちのつぼね)伊勢は寿永4年(1185)、3月24日壇ノ浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原(さぎのがはら)に遁れて来て、建久初年(1190)初めて水天宮を祀った。
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太宰府天満宮

昌泰4年(901)、道真公は藤原氏の策謀により、大宰権帥に左遷されます。大宰府での道真公は、貧しい生活の中でも天を恨まず、人を憎まず、皇室の弥栄と国家の平安を祈られ続け、2年後の延喜3年(903)2月25日、大宰府政庁の南館(現:榎社)にて59年の御生涯を閉じられました。
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